本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【19.02.10.】『善悪の屑』感想

善悪の屑(1)

善悪の屑 渡邊ダイスケ・著(少年画報社ヤングキングコミックス)

あらすじ:
過去を背負った2人の男が担うのは「復讐の代行」。
屑には屑による制裁を!
「正義」の意味を問う問題作!
(honto内容紹介より)

【ここから感想です】

 

あらすじ短すぎですよね。苦笑
でも、読了すると、こうとしか書けない…という感じです。

過去に家族を理不尽な形で殺されたカモとトラの復讐代行という裏稼業を通じて、読者に「正義とは何か」を問い掛けてくるオムニバスストーリーです。

現在とっても品薄。
理由は、4巻が東京都青少年育成条例に引っ掛かり有害図書認定を喰らってしまったため、らしいです。

【詳細】
善悪の屑が売ってない!理由はあの指定を受けたから!
東京都青少年健全育成審議会「自主規制団体からの聞き取り結果」

pdfの有害認定理由を読むとお察しの通り、4巻は子どもを歯牙にかける犯罪者のお話で、私個人の感覚では、池田小事件を思い出させられ、当時の心境を思い出してあのころの恐怖が再燃しました…。
また、個人的には、未成年の若年層が読むにはふさわしくないというか、昨今世間を騒がせている飲食店のバイト店員による浅慮な行動を考えると、学生のうちは都合のいい部分しか読み取らず、自分に都合のよい解釈しかできなくて有害図書と言われても仕方ないかもしれないとは思いました。
しかしながら、残虐性を強調すると同時に、被害者遺族の吐きそうなほどの想いも真摯に描いている作品なので、流通が滞っている現状を歯痒く思う気持ちもあります。

そんなこんなで、現在入手困難、私はhontoさんの電子書籍で購入。

参考までにURLを張っておきますが、これもいつ消えるのかな、という感じなのでしょうか?

【hontoさん電子書籍入手先】→【全1-5セット】善悪の屑
ちなみに、現在は『外道の歌』という続編が連載中、7巻まで発売されているそうですが、それはまだ読めていません。
有害認定されてしまったためか、『善悪の屑』よりソフトな復讐になっているという話ですが、自分で読んでみないと分かりません。

この作品を知ったきっかけは、映像化に向けて着々と進んでいたのに、主人公カモを演じる役者さんが、よりによってカモに復讐を依頼してきた女性の被った被害と同様の事件を起こしたという報道を見たからでした。
この作品を読んで改めて、その役者さんに対し
「いったいどういう気持ちで映画の脚本や原作を読んでいたんだ?」
という疑問を禁じ得ませんでした…。

この作品をきちんと読めている方は、おそらく自主規制団体の一部の方が仰るような私刑を正当化している話【ではない】と理解できているかと思います。
多くの問題提起をし、正義とは何か、誰がそれを決めているのか、私刑によって誰が何を背負うのか─それらを読者に考えさせる、回答がなかなか出せない問いを投げ掛けてくる作品です。

カモは自身が被った事件の被害者であり、被害者遺族の気持ちを痛いほど理解しています。
被害者の遺族や被害者の抱く永遠の地獄を知っています。
たとえ法が裁こうと、極刑に処せられようと、殺された人は還ってこないし、奪われた平凡は永久に帰ってきません。
それらを、もし自分が被害者や被害者遺族になったとき、「未成年だから」「判断能力がなかったから」「悪意はなかったから」という理由で、「そっかー」と赦せますか?と問い掛けてくる話が多いです。
その一方、被害者を殺さないと自分が殺されると追い詰められて犯行に及んだ加害者、被害者の悪行を知っていて逆恨みする被害者の家族、現実を受け入れられなくて心が麻痺してしまい、泣くこともできない被害者遺族…様々な関係者の行動や気持ちの流れなどで読む側は飽和状態になってしまって、一度に読み進めるのが難しい、重くて昏くて後味の悪い内容ではありました。
『外道の歌』を未読なので詳細不明ですが、カモは家族がむごい殺され方をしたとき、超えてはならない一線を越えてしまったのではないかと思われる描写が、『外道の歌』の1巻冒頭(1話冒頭はカモの過去語りでスタートみたいです)にあるので、復讐の無意味さ、虚しさを知っているのでは、と思います。
だからこそ、復讐方法が異なる同業者「朝食会」の“被害者遺族自らの手で復讐を”というスタンスに異議を唱えたのだろうと思います。
「朝食会」に依頼した被害者遺族に、カモが
「(自分の手で復讐することに対し)本当にイイんだね?背負うことになるよ」
と問いかけます。
遺族は、しばらく逡巡した後、
「背負っていく覚悟です。子どもたち(被害者)の命も、加害者の命も」
と答え、カモは朝食会へ復讐依頼を引き渡します。
そして朝食会のボス、加世子さんが気になる一言を告げて去っていくんですが…。
「依頼者の代わりに復讐する…いかにも被害者遺族の発想ね」
「でも、あなたたちは【被害者になった人間】の本当の気持ちをわかっていない」

めちゃくちゃ考えて、読了後もずっと考えているのですが、答えが出ません…。
被害者の気持ちを、どうやって知ればいいのだろう、特に殺された被害者の気持ち…。
この部分が、自主規制団体の一部の方が、「私刑を正当化している」と論じた根拠なのかな、と思ったり。
怖いのは、この判断が、実は自分が該当者になったときにそう考える/感じる、と申告しているようなものということに、述べた本人が気づいてない点ではないか、と…。
ニーチェ
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
という名言を思い出させるシーンで、ここが一番強烈に印象に残ってしまいました。

薬丸岳さんの作品とは正反対の方向から攻めてくる作品だなあ、と思いました。
「それで、あなたはどうですか?」
と、突然作品から問い掛けられ、答えのない自分に気付かされて無関心だったことにも気付いていなかった自分を思い知らされる、怖い作品です。
でも、一人ひとりがそうやって自問し続けていかないと、この世から犯罪なんて消えないんじゃないかと思います。
どうせ消えるわけないじゃん、と諦めてはいけないのかな、と考えさせられる内容でもありました。