【21.07.24.】『護られなかった者たちへ』感想
【ここから感想です】
生活保護関係の業務を請け負う福祉保健事務所職員の連続殺人事件。いずれも死因が餓死。物証になりえる証拠が極端に少なく、捜査が困難を極める中、笘篠刑事の執念に近い“刑事の勘”により、2人の被害者の共通点を見つけ出すと、利根という人物が捜査線上に浮かび──という流れで、追う側である笘篠視点と、重要参考人である利根視点の2視点構成で綴られている作品、読んだ人はこの視点構成でうっかりミスリードされたのではないでしょうか。
私がミスリードに気付いたのは、誰もが「真面目」と評する利根が、笘篠の尋問に「やってない」と明言したところで「あれ?」とやっと気付きました。
最初に「カンちゃん」が登場したとき、フルネームのフリガナにミスリードされたというか、読み流していたというか…読了後、しばしの消沈(後述)のあとで、「作者にしてやられた!」と悔しくなりました。笑
10月から映画公開ということで、まずは原作を読んでからと思ったのが、この作品を手に取ったきっかけです。
映画の宣伝の謳い文句のとおり、
『誰が悪なのか』
について考えさせられざるを得ないお話でした。
刑事もののミステリーですが、読んだ感想としては生活保護制度の問題点についての重さが尋常ではない、という印象です。
犯人が福祉保健事務所の職員を殺害した理由は怨恨、その動機は、
“家族同然だった大切な人を、水際対策によって生活保護申請さえ受け付けてくれず餓死させた=殺した”
というものでした。
加えて、税金という同じ支出処から「最低限の文化的生活」が維持される刑務所には、しばしば更生のしようがない人間がいて、それも含めて生活が保障されている一方で、明らかに生活に困窮している様子が見て取れる高齢者の生活保護申請を「行方不明の弟を探して支援できないという証明を採ってきてください」という大義名分で追い払われてしまう人もいる、という現実を突きつけられる場面もあり、日本の社会制度の矛盾を改めて考えさせられる内容でした。
生活保護の水際対策問題や不正受給のほか、東日本震災の復興とその影、利権問題など、社会問題がてんこ盛りで、もうどこから手を付けていいのか、ひとりひとりがどうあるべきか、すべきか、一枚岩になれない人の業が生み出したものなのか、と頭がぐちゃぐちゃになる、しんどいお話でした。
最後に犯人が犯行声明とも受け取れるSNSにpostしたメッセージが、この作品の中で最も印象に残った言葉です。
『何度でも勇気を持って声を上げてください。不埒な者が上げる声よりも、もっと大きく、もっと図太く』
生活保護に限らず、いろんなことについても言えることなのだろう、と思います。
また、上げられた声を受け取る姿勢を忘れてもいけないのだろうとも思います。
でも、受け取ったあと、ひとりひとりが具体的にどうしたらよい方向へ向かうのかが、読了後から1日経った今も思いつけなくて、ずっと頭の中にこびりついています。
今のこのご時世だから、余計に身につかされて考えてしまうのかもしれません。
支援したくても、自分の生活に精いっぱいで不可能な場合、どうしたらいいのだろう…。
幸い、私はこうして図書館で本を借りて読める環境にあるのですが、生活保護の不正受給をしているごく一部の人が存在する一方で、本を読みたいなどと思える余裕すらなく日々の生活に精いっぱいという人も大勢いるわけで、そういう環境に置かれている人の一人が、両親から置き去りにされて独りで生きて来た利根であり、年金制度がまだ支払い義務について曖昧だった時代に収めていなかったがために年金を受け取れなかった「けい」さんであり、ひとり親家庭手当だけでは母子で生きていけず、水商売で子を養っている「カンちゃん」の母親であり…。
雇用が不安定になって久しい今の社会で、明日は我が身と思う話が、この作品のあちこちに散りばめられていて、フィクションの上での他人事、とは思えない人物が「生活保護受給者の実態」として描写されているところもありました。
映画公開によって、今以上に多くの人に作品が知られ、「自分が何をできるか」と考えて行動をしてくれる人が少しでも増えるといいな、と思います。
不正受給を咎める声以上に、水準の低さに改正を求める声や、消費税増税に伴って何が歳出として増えているのかを市井にも届きやすいよう工夫してほしいという声などを大きくしていけたらいいんでしょうかね?
作品を観て、読んで、そういった会話があちこちに生まれて大きな動きになってくれることがいいのでしょうか。
その辺りも含め、劇場へ足を運んでみたいと思います。
考えさせられる作品でした。