本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【19.04.16.】『残穢』感想

 

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

 

あらすじ:
―この物音は、何か可怪(おか)しい。
何かが畳を擦る音、いるはずのない赤ん坊の泣き声。
転居先で起きる怪異に潜む因縁とは――山本周五郎賞受賞、戦慄のドキュメンタリー・ホラー。

この家は、どこか可怪(おか)しい。
転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。
だから、人が居着かないのか。
何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べるうち、ある因縁が浮かび上がる。
かつて、ここでむかえた最期とは。
怨みを伴う死は「穢(けが)れ」となり、感染は拡大するというのだが──山本周五郎賞受賞、戦慄の傑作ドキュメンタリー・ホラー長編!


メディア掲載レビューほか
【書物の中の恐怖が現実を侵蝕し、読者の日常を脅かす】
人が変死した家屋や集合住宅などのいわゆる「事故物件」について、不動産業者は次の入居者に告知しなければならないし、そういった物件の情報を提供するサイトも広く知られている。
誰しも、自分の住む家で過去におぞましい事件があったと知れば厭な気分になるだろう。
小野不由美の第二十六回山本周五郎賞受賞作『残穢(ざんえ)』は、そんな事故物件への忌避感という人間心理を刺激する、史上最恐クラスの怪談小説だ。

小説家である「私」は、読者の久保さんという女性から、彼女が住むマンションで起きている奇怪な現象について記された手紙を受け取る。
「私」は久保さんとともに真相を探りはじめたが、調べれば調べるほど、怪異の連鎖は時空を超えて拡大してゆく。
恐怖の因縁は、いつ、どこで始まったのか?

作中には平山夢明福澤徹三といった実在のホラー作家が登場するし、「私」は明らかに著者自身がモデルである。
ドキュメンタリータッチで描かれているため、作中の出来事はどこまでが事実でどこからが虚構か見分けがつかない。
人間や物品が土地から別の土地へと移動するに従って怪異は枝分かれし、曰くのある家に住むだけで人々は陰惨な悲劇に自動的に巻き込まれてゆく。
本書の怖さは書物の中に留まってはくれない。
現実を侵蝕し、読者の日常を脅かさずにはおかないのだ。

なお、本書読了後には、福澤徹三の怪談実話集『怖の日常』(角川ホラー文庫)のラスト二話も読んでいただきたい。
小野不由美本人も知らない筈の現実の事件と、『残穢』の内容との不可解な類似。
現実と虚構はここでまたしても境界を喪失し、怪異は日常を黒々と不吉に染めるのだ。(百)

評者:徹夜本研究会
(週刊文春 2016.10.22掲載)

 

【ここから感想です】

 

ネタバレ感想の前に、この本を読むきっかけになった出来事を少し…。

実は、我が家の近くに『曰く付き』と思われる空き家があります。
twitterのフォロワーさんとホラー話の流れから、「実はうちの近所に~」とお話したのが以下の内容

1)その一帯は半世紀前に山を切り崩した造成地で新興住宅街=前に住人はいない
2)最初に家を建てた家の世帯主が急死(急性疾患で診断名も出ているのですが一応伏せておきます)
  仮にこの初代を「1」と以後表記します
3)1の弟、2夫妻がその家に引っ越してきて間もなく2が1と同じ病名で急死
4)その後長い間買い手がつかず空き家に、2の子世帯が自治体へ寄付、競売に出される
5)1や2とまったく縁故関係も交流もない3が落札
6)上述の話は聞いていたので、家を取り壊し、地鎮祭をおこなったのち新規に家屋を立てて居住
7)半年後、世帯主である3が1や2と同じ病名で急死
8)この新興住宅地黎明期から住んでいる家人の檀家寺の尼さん(霊感バリバリ)の話
※毎月この尼さんは我が家へ先祖様のお参りの読経に来てくださっていたそうです
尼さん:
あ~…あのお宅、いますね。
お隣さんに影響が出るくらい強いです。
お隣さんに、檀家寺さんにお祓いなどお伝えできればいいんですけどねえ。
9)家人が上記の家のお隣さんへ忠告(?)したけれど「まさかw」と流される
10)上述の家のお隣さんの同居中の実母さまが同じ病気で急死
11)一年後、同居し始めた↑のお宅のご主人のお母さんも同じ病気で急死

話を聞いたMyフォロワーさん
「やだあああああそれリアル残穢じゃないですかやだあああ!」
残穢って?

─という流れでこの作品の存在を知った次第。
なお、上述の家は仲介業者さんの管理の元、現在も空き家です(どうでもいい)

この作品を読むまでは、上述の曰く付きの家については、
「ちょっと怖いけれど、前は山だったわけだし、初代の1さんに心残りがあるんだろうけれど、そこの縁故者がお祓いなり供養なりしていかないと成仏できないのかなあ」
程度に思っていたのですが…この作品を読んだら、そんな簡単な話じゃないんではないか…と怖くなってしまって、眠れないまま夜が明けてしまった、というレベルでじわじわと怖い内容でした。

著者の小野さん自身の体験談というのは確実なのでしょうけれど、どこまでが「事実」で、どこからが「創作」なのか、境界線が分からないので全部「事実」に感じてしまうのです。
作品紹介のところ、あらすじだけでなくメディアレビューも転記したのは、私のつたない感想よりも怖さを簡潔明瞭に表現した文章だったので!
鈴木光司の『リング』以来の怖さでした…。
怖いもの見たさの怖がりなので、ついこういう作品も読んでしまうのですが、大抵は壁にべったりと背中をくっつけてお布団にくるまれば大丈夫!なんて感じで眠れるんですけれど、この作品…壁からも赤子がぼこぼこ浮かび上がってくるんです!(号泣)
なので壁に背をくっつける自衛ができなくて、読了した夜は、椅子に座って背もたれにべったりと背中をくっつけて持病の腰痛と戦いながら眠る努力をしているうちに夜が明けました…。

ライター、作家というさがを持つ久保さんや「私」は、どちらも白黒はっきりさせたいというか、しないと中途半端な状態のまま物音や謎の体調不良に悩まされる、と、読み手から見ると強迫観念に近い凄まじさで真相解明に奔走しています。
その中で「え…やめて」と涙目になったのが、そういった「何か」が、例えば地縛霊のような「その場にとどまる何か」ではなく、そのきっかけにまつわるもの…例えば当時の建物の梁や柱だったり(昔は再利用当たり前だったらしいです)、いわゆる「忌中」に遺族が他家へ訪問したことにより、死穢(死という穢れ)を訪問先の家族に伝染させたり、「伝染」によって死穢が家屋の材料や土地に「伝染」し、その土や資材を転用することによって、その転用先に「拡散」されたり、転用先にもまた別の「死穢」があったら複数抱え込むのか?などなど…怖いです、「私」の推測が怖いです!
その推測を裏付けるような出来事が次々と判ったり、当事者たちに起こったり…怖いです!(2度目)

その癖、作品のラストで「私」は、元来持ち合わせている「懐疑」の思考により、
あるのでは、という前提で見るから、わずかな類似点を関連性があると思い込んでいただけではないか
と結論付け、ここでおしまいにしよう、と決めるんです。
そのころには、あれもこれもそれも…と怪奇的な関連が見つかっているのに、です。
と、読者も見事にバイアスを掛けられている状況にも恐怖を感じました…思い込みって怖い…。

死穢は神道の概念で、また浄土宗(浄土真宗かも?どっちだったかな;)では、死は穢れではない(極楽浄土へ行けるのだから)という考えなので死穢という概念がない、とか、勉強になる話も散見されます。

近日中に、レビューにある福澤徹三氏の『怖の日常』も読もうと思っています。
でも、すみません、手許に置くのは怖いです…ということで、この作品を紹介してくださったフォロワーさんから
「家に置いておくと落ち着かないですよw」
とのご忠告のとおり、家に置いておけないレベルでじわじわと汚染されていく感覚の恐怖を味わったので、図書館レンタルで本当によかった、と思っています…そのくらい怖かったです…。