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自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【17.01.09.】『北斗 ある殺人者の回心』感想

 

北斗 ある殺人者の回心 (集英社文庫)

北斗 ある殺人者の回心 (集英社文庫)

  • 作者:石田 衣良
  • 発売日: 2015/04/17
  • メディア: 文庫
 

あらすじ:
 両親から激しい虐待を受けて育った少年、北斗。
 誰にも愛されず、愛することも知らない彼は、高校生の時、父親の死をきっかけに里親の綾子に引き取られ、人生で初めて安らぎを得る。
 しかし、ほどなく綾子が癌に侵され、医療詐欺にあい失意のうちに亡くなってしまう。
 心の支えを失った北斗は、暴走を始め―。
 孤独の果てに殺人を犯した若者の魂の叫びを描く傑作長編。第8回中央公論文芸賞受賞作。
amazon内「BOOK」データベースより引用)

【ここから感想です】

 この作品は、実は小説すばるで連載第一回目が初読でした。
 奥付を見て呆然…2009年5月が初出でした。
 思わずすばるを発掘、当初、何が私に関心を抱かせたのか、煽りを見て思い出しました。
 ある殺人者が生み出され、消えゆくまでを描く
 様々な「愛」をテーマに作品を生み出してきた石田衣良さんが、ミステリーを書くということか?
 と興味を持って連載第一回目を読み、第一回分の最後は、小学五年生の端爪北斗が自殺を考えて真夜中の夜をさまよい、裏山の広場で仄かに温かく白く灯る自動販売機に抱き着くシーンで終わってしまいました。
 ページにして25P、3万文字弱という短い1章の中で、すでにこれでもかというほど、北斗の過酷な幼少期が綴られていました。
 続きが気になり、でも発売間もないころに買ったため読めません。
 そのストレスは半端なく、だから敢えて「文庫化されるまで読まない」と決めました。
 振り返ればこの7年以上、私はこの作品を、東野圭吾さんの作品のような「あらかじめ犯人が分かっていて」「なぜ犯罪に至ったのかを辿る人間ドラマ的なミステリー」だと勝手に予測していたんですね。

 文庫化されていることにずっと気付かず、書店に並んでいるのを見て速攻レジに向かい、そのまま読書へと没入しました。
 分厚い。長い。278Pにまとめられています。
 それでも、途中でとめることが出来ませんでした。

 ネタバレさせずに感想を述べるのが非常に難しいのですが、愛されていると感じたことのない人は、愛し方が分からないとよく言います。
 想像の範疇ですが、他者の好意を信じない北斗の気持ちや、信じることへの恐怖など、そしてそこへ至る経緯にも説得力がある生々しい出来事の連続で、人の善意や厚意を信じられないという部分に妙な共感を覚え、彼が殺人を犯すまでの下りでは一貫して北斗に寄り添う心情で読んでいました。

 ですが、物語はそこまで進んだのに、全体の半分までしか進んでいないのです。

 後半から、北斗が逮捕され、事件と向き合いながら裁判の日を待つ一年、そして審議の様子が展開されていき、実は石田さんが描きたかったこと、つまり読者に訴え伝えることで考えて欲しかったのは、ここではないかと思わされました。
 北斗は両親の虐待を受け、人の好意や善意を信じることができなかった。
 試すように里親となった綾子を困らせる。あくまでも、綾子が犯罪者の里親とそしられることのない範疇で綾子を傷つけて彼女の愛情を試します。
 綾子の無償の愛と、北斗同様親の虐待から綾子の里子になっていた明日実との様々な共有共感が、北斗の心を溶かしていきます。
 北斗は生き直せる、人と共存できる、と読者がほっとした直後、綾子の末期肝臓癌という暗転が北斗を襲います。
 綾子のために生きると決めていた北斗を、明日実は案じます。
 自分もそうだったからこそ、明日実は北斗へ綾子に依存していてはいけないと諭します。
 それを咀嚼し切れないうちに北斗は医療詐欺事件に巻き込まれ、そこからさまざまな悪意や不幸な偶然が重なって、当初復讐をすべき相手だった生田には一矢報いることすらできず、たまたま居合わせた生田の研究室の事務員や看護師を殺めてしまいます。
 北斗が最も人に知られたくない恥部とも言うべき虐待の過去を世間や裁判で暴かれ、彼は憔悴していきます。
 可哀想なこどもというレッテルを張られるのが許せなかった。
 この辺りの下りは非常に生々しく北斗の心情が描かれ、実際の被虐待経験者からの話を伺ったらしい石田さんの取材力と観察力、分析力が石礫となって、読者を殴りにかかってきます。
 傍観者を気取って読んでいる自分に居心地の悪さを感じざるを得ませんでした。
 リアルな自分を囲む社会の中で、無自覚なまま傍聴席の人々のように「カッコ」でくくって脳内補完しながら自分に心地よいストーリーを捏造して事象を見てはいないか? という不安に駆られます。
 ずっと北斗に寄り添って読んでいた、言い換えれば俯瞰で他人事として読んで来た読者に、後半からは立て続けに様々な問いが「北斗の逡巡」という形で読者に投げられてきます。

 人を殺したら、どんなに反省しても償いの気持ちを持っても、赦されるものではない……のか?
 死んだ人は生き返らない。一生償うという言葉は生きる自分の自己正当化ではないのか?
 殺人の理由や加害者の事情に被害者や被害者遺族は情状酌量をしなくてはならないのか?
 もし自分が被害者だったら? 加害者だったら? その遺族や加害者家族だったら?

 北斗の葛藤を通して、読者も迷路に入り込んでしまいます。
 読者は北斗の目を介して出来事を辿り、北斗が誰にも吐露しない心情を読者だけが知っているので彼の人となりも知っていて、だから余計に考えさせられてしまう。
 時間単位で、日にち単位で、心がゆらゆらと揺れる。
 死を以ってして贖うことが、少しでも遺族の慰めになるのか。
 生きていっときも忘れることなく懺悔し続けることが被害者への償いになるのか。

 2人の犠牲者を出した北斗の事件の被害者遺族の意見陳述で、北斗は、そして読者は、それに裁判員も、決断を悩まされます。

----------引用(抜粋)----------

被害者・飯岡佳恵の夫
 被告人は佳恵だけでなく、私の家庭と二十九年の結婚生活と、ゆっくりと二人で年老いていくはずの平穏な老後までまとめて殺してしまいました。
 私個人としての恨みだけでなく、平凡な暮らしをしていた善良な人間が突然命を奪われ、殺めた人間が無期懲役という罰を受けたとしてもいつか外の世界を自由に歩き回れる、こんな不公平があっていいのでしょうか。
 この世に正義があるなら、赦されないはずだ。
 死刑にさまざまな意見があるのは知っている。
 また、被告人が刑に処されても佳恵が帰ってこないことも重々承知している。
 それでも、この世に正義というものがあるのなら、私は被告人を死刑に処していただくことを希望します。

被害者・飯岡佳恵の息子
 法律になんの意味があるんでしょう。
 そこの人(北斗)は、実の母親以上に大切だった母親を奪われて事件を起こした。
 俺はその結果、その人と同じように母親を亡くした。
 だったら答えは簡単じゃないですか。
 俺をそこの人と二人きりにしてくれればいい。
 そうしたら、それできれいに片付く。
 個人的な復讐が法律で禁止されているのは知っている。
 だから俺が言いたいのは、俺の母さんがいきなり消えていなくなったみたいに、そいつにも今すぐ消えて欲しい。

被害者・関本みのりの妹
 そこの被告人の人にお願いがあります。
 私を殺して、お姉ちゃんを返してください。
 死んでほしいと思うけれど、お姉ちゃんならきっと死刑を望まないと思いました。
 お姉ちゃんのことを被告にも知って欲しいと思います。
 どれだけ大切な人を手に掛けたか、どれだけ愛されていたか、最期まで毎日そのことを思い出してもらいたいです。
 ここにいる皆さんにも、被害者ではなく、関本みのりを覚えていてもらいたいです。

被害者・関本みのりの祖母
 どんな理屈を言っても、世の中は平等なんかじゃありません。
 不幸な家はずっと不幸なんです。
 不幸続きの家にも、たまには神様が目を掛けてくれるんでしょうかね。
 みのりは、うちには出来過ぎた子でした。
 男はもうこりごりだ、娘と孫二人と女四人、みのりを医者にしてみんなを助けてもらおうと思っていました。
 意地汚い話ですが、そういう皮算用をしておりました。年を取ると情けないことを考えるようになります。
 夫は長患いで苦しみながら息を引き取りました。娘が倒れたときには死に目にも会えませんでした。
 誰よりも大切だった孫娘は、口ではいえないほどひどいことになっていました。
 人の死をたくさん見てきました。
 飯岡さんのご遺族には申し訳ないですけど、極刑は望みません。
 そこの若い人(北斗)には、生きて償ってほしいと思います。
 これ以上、人の死を見たくありません。
 そこにいる子(北斗)にも、家族や友達がいて、悲しむ人がいる。
 私は自分が不幸なので、他人でも同じ目に遭うのを見るのが嫌なんです。

 



----------引用(抜粋)・ここまで----------

 ほかにいくらでも抜粋してご紹介したいシーンがあったのですが(北斗の実母がわざわざ証言台に立ち、自ら事実を晒していく場面とか)、作品内にあるとおり、【裁判は舞台であり、心を丸裸にされる演目である】と思わされる数々のエピソードです。
 ミステリーだとか人間ドラマだとか、そういう括りでは収まらない内容。
 社会派小説である一面(敢えて児童福祉施設ではなく里親制度を前面に押し出すなど)もあり、そしてやはり石田さんは「愛」をテーマに描かれる人だと、一貫性を再認識させていただきました。
 実母の行動の源がなんなのかに思い至った瞬間に呟いた北斗の表情が容易に想像つき、何とも言えない気分になりました。
 それまでの、ゆがんでいながらも保っていたアイデンティティがぶっ壊されたに等しいのでしょうし。
 きっと、必要なことのはずなので、おそらく間違ってはいないのでしょうが、それに本当は北斗も心のどこか無意識のところで分かっていたからこそ、過去の北斗が今の北斗を諭しに来たのだろうとも思うんですが、北斗に寄り添いながら読んでいた読者としては、
「どうしてもっと早く伝えてくれなかったんだ」
 という憤りしかなくて……ほかの感想もあとで探しに行ってみようと思います。
 多分、私はネガティブな解釈をしていて、きっと間違った感覚で受け止めていると思うから…。

 判決を受け、北斗の在りようはサブタイトルどおり「回心」を感じさせます。
 物語は判決を受けたところで終わっていますが、実際の被告人には、判決後にもまだ人生があります。
 法務大臣によるのですが、死刑の判決を受けたから即決行、というわけではないですし。
 無期懲役だとすれば、それこそ、年齢によっては長い人生が残っている。
 そんな中で、どう「在る」べきか、犯罪に限らず、人が人としてどう在って、人とどう関わっていくことがより生きやすく心地よい自分(と当時に他者)であれるのか……いろんなことを考えさせられる話でした。
 まだ私の中で結論は出ていません。
 きっと何度も読み返しながら、その都度、登場人物たちに横っ面を文章で叩かれながら迷うのだと思います。

 北斗の判決が死刑か無期か。
 ぜひ直接作品を読んで確かめてみて欲しいと思います。