本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【19.04.14.】『MORSE』感想

 

MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)
母親と二人暮らしのオスカルは、学校では同級生からいじめられ、親しい友達もいない12歳の孤独な少年。
ある日、隣のエリという名の美しい少女が引っ越してきて、二人は次第に友情を育んでいく。
が、彼女には奇妙なところがあった。
部屋に閉じこもって学校にも通わず、日が落ちるまではけっして外に出ようとしないのだ。
やがて、彼女の周辺で恐るべき事件が…スウェーデンでベストセラーを記録したヴァンパイア・ホラー。
(「BOOK」データベースより)
MORSE〈下〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)
エリが越してきてほどなく、体内の血を抜き取られた少年の死体が発見され、郊外の静かな町は騒然とする。
その異常な手口から、警察は儀式殺人の線で捜査を開始。
やがて一人の不審な男が容疑者として浮かびあがる。
一方、オスカルはエリから彼女の出自にまつわる恐るべき秘密を打ち明けられていた…「これほど美しくも哀しいヴァンパイア・ホラーはかつてなかった」と絶賛を浴びた、恐るべき北欧エンターテインメント。
(「BOOK」データベースより)


【ここから感想です】

 

実は2011年に『ぼくのエリ 200歳の少女』鑑賞という感想記事を書いていたのですが、このとき「原作もあるそうなので読む」と言っていたのに、そのまま失念し、気付けば8年という恐ろしい歳月が流れておりました…。
2月の末にようやく入手して、3月に読了していたのですが、いい加減に読了直後の臨場感が消えそうなのでメモしておきたい…。

感想を書く前の蛇足ですが、この作品の続編があるとのことで、そちらの日本語訳本も発行されないだろうかと、早川書房さんにメールを送ったりしたのも3月…。
【情報元】『ぼくのエリ』の続編を読んで納得した-ブログ『四半分は上等』より-

上記ブログでも述べられているとおり、映画とは印象がかなり変わる原作でした。
私が鑑賞したのはスウェーデンver.です。
原作の著者であるリンドクヴィスト氏自身が脚本を書いたにも関わらず、そのラストが示す未来にご本人が驚いたと上記記事で紹介されています。

話の筋立ては原作に忠実な映画がとわかりましたが、内面描写が
「これは監督や役者さんたちの補完や解釈も含まれたうえで表現されたからなのかなあ」
と思わせるような原作での登場人物たちの内面描写でした。
内面を文字で表現してはいないのです。
行動、主人公のオスカル(映画ではオスカーになっていました)が他者の行動を見ての推測という形での人物たちの心理描写などの面が、映画で感じたものとはかなり違う。
もっと不純の混じった感情が多く、特に映画では純愛だわ、と切なさを感じさせたホーカンの下心満載なドロドロ感や、ベドフィリア的な傾向に「うーん;」となってしまいました…。

その一方で、映画ではカットされた「エリがヴァンパイアになるに至った経緯」について、オスカルがエリと記憶を共有するシーンで明確になり、エリもまた犠牲者だったということが分かった部分は読んでスッキリしました。
映画ではそれほど印象に残らなかった街の人々についても、1人1人のここに至るまでの人生が語られていて、あの街の薄暗い雰囲気の理由をようやく納得できたり、映画で疑問だった点を補完するという意味では読んで正解だった、と思いました。

しかしながら、原作では映画と違い、オスカルがエリと逃避行をしながら生きていく選択をした原動力が、映画ほど綺麗な理由(見る側の脳内補完ですが)ではなさそうに感じられるので、なかなかダークなお話だったんだなあ、と。汗
多分(もううろ覚えなんですが)映画では、オスカルが学校で放火事件を起こすエピソードがないんじゃなかったかな…。
原作でオスカルがそういう事件を起こします。
いじめっ子のリーダー格の子が大事にしていた写真を燃やすために。
いじめっこたちに初めて歯向かい、リーダー格の子の耳を大けがさせたことで、クラスメイトがオスカルを恐れるようになり、それでオスカルは過剰な自信を持ったというか、復讐に転じるというか。
この辺は私の誤解釈があるかもしれませんが。
しかし子どものやることなので、オスカルは自分のしでかしたことに恐怖して不登校を起こし、実際にどの程度学校が焼けたのか知らない、という状態に陥ります。
そこへ仲直りしたいという演技で近付いてきたいじめっ子メンバーの1人がオスカルを呼び出し…と、あとは映画と同じ流れでプールでの制裁へと話が流れていくのですが、この火事のエピソードが抜けているので、映画ではエリを守るために、という雰囲気で街から出る感じになっています。
原作では、「オスカル自身の罪が露呈することへの恐怖」「エリがみんな殺してしまった」「もうこの町に居場所はない」という逃げからエリと行動を共にすると決めた気がするんですよね…。
そして続編を読んだ方に教えていただいたのだったかしら、失念してしまったのですが、どうやらオスカルもヴァンパイアになったようで、続編で主人公となっている大人になった元オスカルと同世代だった2人が、「当時の姿のままだった」という表現で目の前に現れたヴァンパイアを目撃するシーンがあるとのことで。
英語が堪能であればKindleで読めるのに、と悔しい限りです、気になる…。<続編の短編
そんな情報が頭の中にある状態で原作を読んだため、オスカルに対して、「どんどん逃げていく、その先には何があるのかと考えているかい?」と、なんだかネガティブな読後感がある内容でした。
映画では街の人やいじめっ子が如何にもモブという感じで観る側の同情を誘うようなことはあまりない表現でしたが、原作ではそれぞれに抱えている事情があり、誰も悪くないというか、そもそも善悪でジャッジすることかな、とモヤモヤした感覚が常時付きまとうお話でした。
振り返って、自分の周囲についても考えてしまいます。
自分はどの視座から物事を見て感じて考えているか?
それは別の視点から見たとき、同じように感じ解釈しうるものか?
善悪の基準はどこにある?
みたいなことを考えてしまう内容でした。
面白かったんですが、頭空っぽにして楽しい読後感を味わいたいという人にはお勧めできないかも…という昏さが漂うお話でした。