本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【17.07.29.】『砂の王国』感想

 

砂の王国(下) (講談社文庫)

砂の王国(下) (講談社文庫)

 
あらすじ:
 俺はまだ自分の運というやつに貸しがある。
 さぁ、勝負だ。

 全財産は、3円。転落はほんの少しのきっかけで起きた。
 大手証券会社勤務からホームレスになり、寒さと飢えと人々の侮蔑の目中で閃く――「宗教を興す」
 段ボールハウスの設置場所を求めて辿り着いた公園で出会ったのは、怪しい辻占い師と若い美形のホームレス。
 世間の端に追いやられた3人が手を組み、究極の逆襲が始まる――驚愕のリアリティで描かれる極貧の日々と宗教創設計画。

 『明日の記憶』から6年。人間の業(ごう)を描き出す新たなる代表作の誕生!
amazon内「BOOK」データベースより引用)

砂の王国(上) (講談社文庫)

砂の王国(上) (講談社文庫)

  • 作者:荻原 浩
  • 発売日: 2013/11/15
  • メディア: 文庫
 

あらすじ:
 もう、後戻りはできない。
 三人で立ち上げた新興宗教団体「大地の会」は私が描いた設計図どおりに発展。
 それどころか会員たちの熱狂は、思惑を超えて見る見る膨れ上がっていく。
 奇跡のような生還と劇的な成功。
 だが、そこで私を待っていたのは空虚な祝祭と不協和音だった。
 人間の底知れぬ業(ごう)と脆さを描ききった傑作長編、慟哭の結末!
amazon内「BOOK」データベースより引用)

【ここからネタバレ感想です】

 


この作品は宗教モノというよりも、宗教を設立するという設定を基軸にした、人間の闇や業をあぶりだしたような内容でした。

作品全体の大部分を「私」によって語られる似非宗教団体設立の物語ではあるものの、元ディーラーだった「私」こと山崎と、冴えない辻占い師・龍斎の二人が、お飾り教祖にうってつけとイケメンホームレスの仲村を巻き込んで、それぞれの職業で積み上げて来たコールド・ヒーリングを駆使して一つの宗教団体を成長させていく過程の中で、個々の心の動きや誘導させていく様がかなり面白い作品でした。
会員の心理操作は巧みなのに、宗教団体を立ち上げようと協力体制を敷いた龍斎や仲村に対しては、常に不満や不安や疑念を抱き続けて逡巡する山崎の気弱さに焦れる人もいれば共感する人もいるのではなかろうかと。
あらかじめ対象の情報が判っている上で話術によって誘導していくのを、ホット・リーディングというみたいです。

感想を書こうとすると、どうしても人間関係や設定をネタバレさせてしまうことになるので難しいですね…。

【主要人物】
1.山崎遼一(私)
 ・木島礼次(団体上での通名)『大地の会』事務方担当
 ・元証券会社ディーラーから営業→鬱で失職して妻には逃げられ、挙句ホームレスに
 ・無自覚ながらも営業経験からコールド・リーディングのスキルを若干有している
 ・前職でうつ病と診断され箱庭療法を受けた経験アリ
 ・そこで砂山に貝殻などで延々と塔を積み上げていた
 ・家庭機能不全環境で育っている(母親が宗教にド嵌り&父親が浮気性)

2.錦織龍斎
 ・小山内師範(団体上での通名ヒアリング、スピリチュアル・ヒーリング担当
 ・山崎や仲村が棲みついた公園で場所代を巻きあげられつつ不真面目に営業している辻占い師
 ・語彙は知らないけれど、コールド・リーディングのスキルが半端ない
 ・過去に同名で自費出版をしている
 ・本名の西木は使いたがらない
 ・?む打つ買う大好きな大穴狙い人生な人
 ・家庭機能不全環境で育っている(父親の経営する文房具屋が倒産し父親蒸発、母親はパチ中で低学歴)

3.仲村健三
 ・大城(団体上での通名)教祖
 ・沖縄出身、大柄で寡黙、自分で思考しない(と、山崎や龍斎に思われている)
 ・本作のキモになるあれこれな経歴まみれ

個人的には、仲村クンが一番キツい経歴ではなかろうかと…。

上巻で底辺の極みとも思えるホームレス時代の3人が描かれてゆきます。
山崎の、自分をクビにしたに近しい証券会社への恨みつらみの過去や、ホームレスの中にも序列や上下関係があるという社会の厳しさとか、龍斎と会話をする機会を得たことで全財産3円からの起死回生という野望を抱くまでの山崎の気持ちやホームレス仲間の仲村への思いや龍斎の人を見抜く才能などなど、

自分たちを社会から弾き出してゴミ箱に放り込んだ奴らに逆襲してやる

という負のエネルギーを感じさせる、そして、例え負のエネルギーでも力になると思わせるような終わり方だった上巻ですが。
斜陽が差し始める予兆は上巻でちらほらと匂わせていたものの、それが少しずつ顕著になっていくのが下巻でした。
彼らの駆使するコールド・リーディングが対象者に嵌って次々と木島の思惑通り、大城を目当てに入会していく人たちの酔狂ぶりを見れば、読む人によって高揚感や達成感、人を思い通りに動かせるといったような万能感も得られるのではないかと想います。
その一方で、すでに『大地の会』とはなんぞやを解っている当の3人は、お互いにお互いの思うところがすれ違っていて、山崎視点で読んでいる人には龍斎や仲村のマイペースのせいで胃が捻じれる想いに共感するのではないかと思います。
この作品を紹介しようとして今悩んだのですが、「山崎=木島」「龍斎=小山内」「仲村=大城」それぞれをどう表記するほうがよいのだろうか、と。
作中、山崎が地の文で「山崎」と称されることはほとんどありません。団体を立ち上げてからほとんどが「木島」の通名で表記されています。
龍斎も仲村も、彼を名前で呼ばないんですよね…。
そして龍斎の表記については「龍斎」、仲村の表記は「ナカムラ」から「仲村」最後に「大城」そして最後の最後で「仲村」に戻ります。
地の文=山崎が語り部なんです、この作品。
社会に逆襲してやる、と言っていたのは「山崎」、『大地の会』の規模を大きくしていっているうちに、龍斎や大城の持論ごり押しになり始めていく様を苛ついて不安になっていくのは「木島」、という表現から、詐欺まがいの逆襲劇が次第に山崎を蝕んでいっているのが下巻でじわじわと感じていきました。
大きなことをするときに、自分がそれに見合う器かどうか、どれだけの覚悟があるのか。
龍斎が(十中八九)『大地の会』の真実を知った人間を始末する、という犯罪に手を染めたとき、それを糾弾した山崎と反駁する龍斎とのやり取りがものすごく刺さりました。
やり取りの中で山崎は「木島」から自分を取り戻していきます。
どこで間違ったんだという疑問がぐるぐる巡る中で、実は最初から心のどこかで気付いていたことと向き合わざるを得なくなっていきます。
自分と向き合わざるを得なくなっていきます。

尊大なプライドと現実の自分の器とのギャップ。
責任転嫁をしている自分。
世間への逆襲などという負の感情を抱いているくせに、綺麗事を抜かしている小心な自分。
今、目の前にあるものを受け身な姿勢であくせくしながら対処するのが精いっぱいで、実は中身が空っぽな自分。
自分のことしか考えていない自分――。

どうやらレビューなどを読むとラストについては賛否両論のようで、でも私はある意味で読者にとって希望を持たせるために、あのラストにしたのではないかと思います。
まさに『大地の会』が唱え続けていた「大地の声を聞けば、あなた自身が答えを出せる」とでもいいたげな、読者に山崎の選択をゆだねる終わり方。
豚汁一杯分だけ足りない交通費。
妻の実家であれば行ける金額の全財産。
でもまた豚汁一杯を買ってしまったので、Kazzのところへは行けない。
取り敢えず自販機巡りをして小銭を探す。
山崎は迷い続けたまま、あとは読者がその後の山崎を思い描いてくれればいい、と。
その選択肢の中には、秘密を知る山崎を狙い続ける『大地の会』の歯牙に掛かるという選択肢もあるよなあ、とか…。
読者が読了後、「えっ!? ここで終わるの!?」と愕然となるのは、いきなり自分の手に委ねられてしまったことによる衝撃ではないかな、とも思ったりしました。
全部を描き切る(妄想の余地は残しつつ)ラノベだと、その後山崎がどうした、というところまでオチを付け、山崎の居場所を突き止めた妻のその後もしっかりと作中に盛り込み、という終わらせ方なのかもしれませんが、多分それだと「ああ、面白かった」で終わってしまうんじゃないかな、と思う内容でした。

あと。
感想ブログなどを辿ってみたのですが、誰もその場面をピックアップしてなかったので…。
下巻は読み直したのですが、自分の拡大妄想解釈でなければ、仲村くんは、山崎に好意があったんじゃないのかな、と。
彼は最初、その場良ければそれでいい、という龍斎を毛嫌いし、「ありがとう、助かります」と、初めて自分に対して存在価値があるようなことを言ってくれた山崎を慕っていたと思うんですよね…。
彼のために台詞や身振りを覚え、それが「そういう」特性(ネタバレになるので伏せます)を持った自分の処世術にもなることを知り、山崎を「自分に生き方を教えてくれた人」とも思っていたように感じられるんですよね…。
彼には女性を嫌悪する過去があり、自分を人として見てくれた山崎に固執する(決して表向きにはそういう素振りを見せていなかったけれど)、と…考え過ぎかなあ…。
パソコンに打ち込む形で自分の素性やホームレスに落ちる前までの生活を山崎に告白したあのときのあれは、龍斎に「山崎はいざとなったらお前に濡れ衣を被せて捨てる気だぞ」とでも吹聴され、不安と疑念が生じたから賭けに出たのではないかと。
その、最悪のタイミングで、山崎が女性として意識し始めた会員の有名女優からプライベートなメッセージが来たのを仲村も目の前で見てしまったわけで。
彼は、自分が言葉だと人を不快にすると知っていたから笑うしかなかったんじゃないかと。
その後、雑誌の取材を受けたあと、人ごみに阻まれて自分の元へ近付けなかった山崎に、ほかの会員に対するのと同じ微笑しか与えなかったのは、彼の「切り捨てる」という決意の表明だったのではなかろうか、と。
教祖・大城に恋慕するオバサン方の誘導を間違った山崎に苦言を呈した龍崎の
「女に一番やっちゃいけないのはえこひいき」
「自分だけが特別でありたい生きもの」
の下りで、それは仲村の中にある「山崎にとっての特別でありたい」の伏線だったのかなー、と思ったんですが、違うんですかね?
仲村が笑って山崎ではなく龍斎の意見に賛同の意を示すシーンは、勝手に「泣けないから笑うしかない仲村」みたいなフィルターが掛かって、読んでいて辛かったです…。
(読解力がないだけだったら、すごく恥ずかしい感想だな、これ、と思うのですが)
そういう感想に「読み違えかも」と自信が持てないでいるのは、その後も執拗なまでに『大地の会』のメンバーが山崎を事故死に見せかけようと躍起になって追うシーンがあるので、読み違えかも、と思っちゃいます。
仲村にとって、『大地の会』は、相手の気持ちを考慮する必要がなく、自分の気持ちを表す必要もない、大切な居場所なので、そこを消しかねない山崎という存在は邪魔、というだけのことかな、とか、別の解釈もできるので、悶々…。
多くの読者さんの読み方・感想とちょっと違ってしまった私の感想でした…。

小気味よくテンポよく、ある意味で「ザマァw」と痛快に感じられる上巻は、読みやすく、でも下巻が本番で、そのためにコツコツ積み上げて来た、という感じです。
下巻の転がり落ち具合は、上巻の積み上げのおかげで成り立っているんじゃないか、と。
ライブのエピソードが冗長と感じられた方が多いようです。
でも、あそこで「これでもか」というほど、騙されやすい人間の業や、承認欲求や自己顕示欲の行きすぎが如何に無様かを知らしめるエピソードで、必要だったようにも思います。

主人公が胸糞悪いキャラの作品、というのを久々に読んだ気がします…誰も悪くない、という切ない話ばかり読んでいたな、と初めて気付く。^^;
いろんな作家さんの作品を乱読するというのも大事ですね。

本作、とにかく私は仲村くんに癒されてました…それ以外はもうしんどい…。
しんどいのですが、でも、気付きたくないことから逃げていたり、受け身でいながら世間を批判してばかりで行動を起こさないとか、何かに縋る弱さは怖いとか、逆に人に心を開けない頑なさも怖いとか、いろいろ「自分の在りよう」について考えさせられてしまう、読んでよかったと思える作品でした。