本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【17.11.25.】『星空のウェディング』感想

 

あらすじ:
仕事一筋に生きてきた実直で無口な夫ウィルソンは、結婚記念日をうっかり忘れ、妻との生活に危機が訪れてしまう。
困り果てた彼は、妻の父であるノアに相談を持ちかける。
ノアはアリーとの愛にあふれた思い出をふりかえりながら、真の愛について静かに語りはじめる。
ノアのアドバイスを参考に、ウィルソンはある計画を実行しようと思い立つが…。
※本書はニコラス・スパークス著『きみに読む物語~もうひとつの愛の奇跡~』を改題し、文庫化したものです。
(「BOOK」データベースより)

【ここからネタバレ感想です】

 

 この作品は、先日の記事で紹介した『きみに読む物語』の外伝というか後日談というか、感想がどうしても本編であるそちらの作品のネタバレになってしまう内容だ、ということをあらかじめ(本編未読の方へのネタバレ防止も兼ねて)お伝えしてから感想を書こうと思います。

 行稼ぎも兼ねて、どちらの内容にも触れない感想を述べさせてもらうと、

・映画版・原作本編と切り離して読めそうにない方にはあまりお勧めではないかもしれない
・映画版のほうが原作よりも好きという方にもあまりお勧めできないかもしれない
・「ノアとアリーの」恋物語の延長と思って興味が湧いた方には「そうではないですよ」と

 といったところでしょうか…。
 こうして自分の注意書きを読んでみると、随分とネガティブで否定的に見えると我ながら思いますが、ノアの娘婿、ウィルソンとノアの娘、ジェーンの恋物語単体として読めば、ノアとアリーとはまた異なる一つの甘いラブストーリーとして楽しませてくれる作品だと思います。
 上記で引用したあらすじにある「結婚記念日を忘れて危機的状況に陥る」だけで済まされるお話ではなく、ウィルソンは「困り果てた」どころではない危機感を持て余してノアを頼るほど、という物語でもあり、ノアとアリーの恋がキーエピソードになっているのはありますが、あくまでもノアはウィルソンを導く「名脇役」であり…というお話です。

 身もふたもない具体的なあらすじとしては、

 ウィルソンとジェーンという熟年夫婦の離婚危機と、同時期に重なった娘の唐突な結婚式準備に追われる中で、結婚式や結婚、夫婦や愛についてウィルソンが認識を改めていく物語

 ――と言ったところでしょうか。

 結構なネタバレ防止行稼ぎができたと思うので(笑)、感想記事の本題を。笑

 まず、私の先入観で、この作品を、
「ウィルソンが夫婦の離婚危機を感じて、妻の父親であるノアに相談をし、アドバイスを語る上でノアが語るアリーとのまだ語られていない恋の物語」
 だろうと思って読み始めました。

 本文3ページ目で大ダメージ受けました…。

 一応、白抜き文字で『きみに読む物語』本編のネタバレ的感想を。

 映画版のラスト=ノアとアリーが最期の瞬間も一緒に迎えたのであろうというファンタジーながらも感動のラスト
 原作のラスト=2人が一緒に神に召されるラストではなく、そのあとも生きていると思われるラスト
 本作品で簡素に述べられているアリーの死期=先に一人で逝ってもうたんかぃ!!?
 あと、孫の名前、どっこにも「ノアJr」いませんよね!?
 あれは映画版のオリジナル演出だったのか!


 …という、本編を引き摺って読むと己の脳内補完度のひどさを痛感させられてしまう冒頭でした…。
 正直、この段階で一度本を閉じました…そのくらい、私には「現実って…現実って…っ」と思ってしまうほどショックでした…。
 し、知りたくなかった、そんなリアリティ通り越して、ただの現実、みたいな…とても自分勝手なショックだったのですが。笑

 そもそもノアとアリーの「本編では語られていなかった」物語とは一言も煽りや作品紹介で書いてないよな、と気を取り直して読み始めたら、すんなりと「ウィルソンの葛藤や後悔の物語」として冒頭以降を読み進めることができました。
 そして、読んでいくうちに、ツッコミが(よい意味で)。
 ウィルソンが仕事にかこつけて家庭を仕事の犠牲にしてきたことを悔やむ冒頭なのですが、それでも日本人の私からすれば、充分過ぎるほど妻であるジェーンに寄り添うよいダンナさんだと思うので、その辺りを「いや充分ジェーンの気持ちを汲み取ってるほうだと思うよ!?」という意味で、突っ込んでばかりいました。
 文化の違いを感じました…恐るべし、日本の根深い家長制度…。
 ぶっちゃけ、感想の大半はこの一言に尽きました…それでもロマンティックを求めるジェーンは、ノアとアリーの娘で、両親のロマンティックな愛の在りようを見て育ってきたので物足りなさを感じても仕方がないのかなあ、でも贅沢だわ羨ましい!という思いがひしひしと…っ。

 ウィルソンの愛情表現の不器用さ(日本男性とは比べ物にならないほど愛情表現ができていると思うのですが)には、なんだか共感を覚えてしまいました。
 学生時代、ジェーンに告白一つするのにも苦労して結局はジェーンに促される形で(それもジェーンに言わされていると感じさせない辺り、ジェーンのロマンティシズムと賢さに感心してしまったりします)やっと交際がスタートだとか、遠距離に不安を覚える理由が、彼女の浮ついた気性ではなく(実際浮気性ではないですけど)、自分に対する自信の無さが理由だとか、一緒に酒を酌み交わしながら「分かる、分かるよその気持ち」と肩ポンポンしたくなる主人公です。笑
 そして、自分が家庭を顧みなかったことに気付いて自己嫌悪し、ジェーンの愛情を取り戻すべく奔走する姿は、きっと日本の妻の立場にいる多くの人をキュンとさせ、彼の妻であるジェーンへの羨望に悶えるのではなかろうかと。
 健気過ぎて、私はウィルソンをよしよしと撫で繰り回したくなりました、ラノベじゃないのにキャラ萌え…読み方がオカシイ…ような気が自分でもするのですが。汗

 全編通して、結婚式の準備という背景があるため、随所にその過程が文章に出てきて、それに絡めてウィルソンとジェーン、そしてその子供たちの心の動きを描いている作品なのですが、キリスト教が国の宗教(?)だから、なんですか?
 結婚式への気合いの入れようが私の目には半端ないなあ、と茫然としてしまう部分がありまして…。
 娘の結婚式なのに、母親がこうも気合いを入れるものなのか、みたいな違和感が拭えませんでした。
 この感想は自分の経験が背景にあるためだと思うので、普通は日本でも花嫁の母親とはこういうものなのかも。
 100着ドレスを試着、なんて記述を見たら「ひぇ…」と、読んでいて疲れてしまったんですね、私がそういうのに頓着しない性分なので。

 この物語は「サプライズ」がキーになっている物語です。
 あまりにも想定外なサプライズは、読み手にまでサプライズをプレゼントしてくれました!
 1冊の大半の中で積み上げてきた諸々が、すべて納得できてしまうと同時に、ウィルソンに対して「あなたもノアといい勝負しているくらいのロマンティストですよ!」と自信を持って欲しい、なんてエールが溢れてどうしようかと思ってしまうエンドでした。

 倦怠期もいいところの熟年夫婦が恋愛する気持ちを取り戻す物語というだけでなく、ウィルソンと彼の息子や娘たちとの親子の関わり、ジェーンと子どもたちとの関わりなど、家族愛や親子愛についても多くの示唆がこめられた作品でもありました。

 ただやっぱり、それらを感じ入るのに「ノアとアリーの恋愛」は不可欠な要素で、最後の最後には、主人公であるウィルソンを食う勢いでノアとアリーの絆の深さを感じました。

 とにかく、サプライズ。とても健気でキュンとするサプライズ。
 それも、一度は「これが父としてでなく夫…いや、男としての愛する人に、サプライズが大好物だと知っているからこそのプレゼントなのだな」と読者に思わせておいて、更なるサプライズ、という小気味よい天丼加減にニヤニヤとさせられてしまいました。
 本編はメリバのようなハッピーエンドと受け止めている私です。
 切ないけれど、じゃあ結末はハッピーエンドなのかバッドエンドなのかと言えば、ハッピーエンドだよな、という本編に対し、この作品は迷うことなく大団円。
 そして結婚されている方はちょっぴり「はっ」とさせられるかもしれません。
 当たり前ではないことを当たり前と思ってはいないか?
 口にしたことも訴えたことも伝えたこともないのに、相手を「こう」と決めつけて諦めていないか?
 父として、母として、余裕がないからこそ、意識してでも「2人だけのときの自分」「恋をしている相手であるからこそ結婚したのだ」ということを自覚し、相手にも伝えていかないと少しずつボタンを掛け違えてしまうことになるのではないか?
 そんなふうに我が身を振り返るきっかけにもなる作品かもしれません。

 ラノベ風に言うなら、「ウィルくんの再告白奮闘記」という感じの、ニヤニヤが止まらないお話でした。笑
 ジェーンに見限られるかもしれない、と不安を感じた途端、ジョギングを始めてウェイトを締めるとか、ジェーンにラブレターを書こうとして紙と向き合うなり悶絶した挙句書けないとか、めちゃくちゃ勇気を振り絞ってジェーンの耳元に愛を囁いたのに不審がられた挙句「浮気してない?」と言われてショックを受けるとか、ウィルくん、かわいいおっさん過ぎて萌え転げました…。

 本編と比べて安心して読み進められるお話でした。
 とても考えさせられる部分もあるのですがね…。

 もう一点、まったく恋愛の部分とは別角度で、本作の主題ではないのですが、ここ十数年私が感じていたことについても触れているような気がした部分が。
 ノアはますます年老いて、発作を起こしたり部屋からいなくなったりするのですが、そのたびに娘息子孫たちが心配して過剰な世話を焼きます。
 それがまるで子供扱いのようで、ノアは傷ついているのです。
 ウィルソンだけが、ノアにそういった扱いをしないんですね。
 ジェーンを始めとした血の繋がった娘や息子、孫たちが心配する気持ちは非常に分かるのですが(私も介護経験があるし、現在進行形の部分もあるので)、同時に、高齢者の方々がふと漏らすそういった嘆きも耳にするのでノアの気持ちも少しは想像できるつもりです。
(解る、とは言えません、まだ高齢者になったことがないので)
 人は誰でも順当にいけば、いずれ年老いてゆくもの。
 次第に思うように体が動かなくなってゆき、気持ちと体力のギャップに苦しむのですが、当たり前のように動ける若い世代(この場合は60代も若いうちに入るでしょうね)は、体力の低下による高齢者のおぼつかなさを見て、なぜか子供と同等な扱いをしがちです。
 若いころにはできていた、という記憶と自負が、こういった対応に傷つけさせると言いましょうか…。
 余裕のない今の世代の人にとっては、じれったくなることも多いかと思いますし、私自身もじれったくなって本人に自分でする意思、選択する意思があるのに、難なくそれを代わりにやってしまって、なんてことがあります。
 あとで「しまった」と反省しますが、なかなかどうして、つい怪我をされたら、と心配が先に立ってやってしまうのですが、それが却って高齢者の自信喪失やプライドを傷つけて鬱などの二次的な症状を発症させてしまうこともある。
 ノアの苛立ちから、そんなことにも思いを馳せました。
 現在進行形でアリーに恋している、心が若々しいノアにとって、それは人の倍以上の屈辱だろうな、と。

 そんな、いろんなことを考え気付かせてくれる作品でもありました。
 映画版や原作本編と切り離して読めば、単体としてよい作品だったと思います。
 日本の文化に馴染んだ人が読むには、少々好みが分かれるかもしれません。
 赤面しちゃうウィルソンの心の吐露が多いので。笑

 映画版>>>>>原作>>本作

 という感じ、という感想でした。