本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【17.11.01.】『ラブセメタリー』感想

 

ラブセメタリー

ラブセメタリー

  • 作者:木原 音瀬
  • 発売日: 2017/08/25
  • メディア: 単行本
 

あらすじ:
 甥に対する密かな欲望を抱え、妄想に囚われ苦しむ百貨店のエリート外商・久瀬圭祐。
 その思いがいつか暴走するのではと恐怖し、治療を求めて精神科クリニックを訪れるのだが―。
 小学校教師の森下伸春は遠い昔、幼い少女に繰り返し恋をした。
 その嗜好の果てに待っていたものは…。
 欲望に弄ばれる二人の男と、その周囲の人たちの心の葛藤をリアルに描いた、異色の連作小説。
 BL界の巨匠・木原音瀬が挑んだ衝撃作。

【ここからネタバレ感想です】

 

 発売日は8/25、『BL界の巨匠』の帯がついた本を近所の書店で予約購入する度胸がなかったのでネット書店で購入したため、初読が8月末になってしまった作品です。
 それから10数回は読み直していますが、感想を巧く言葉に置き換えられる自信がないまま11月に突入してしまいました。
 それくらいに、「読めばわかる、読むべき、読んで欲しい、ここにあなたもいますから」と誰もに勧めたい激情の湧く内容でした。

 簡単なネタバレになりますが、相関図(めいた何か)

メンタルクリニックの看護師・町屋視点の物語「ラブセメタリー」(半オープン・ゲイnot小児性愛
ここでのキーパーソンは
久瀬圭祐(患者・小児性愛性的指向を持つ男性)
次章への導入へ続く一石として、圭祐の甥・伊吹の存在を仄めかして幕を閉じます。

その伊吹視点の物語「あのおじさんのこと」(伊吹は雑誌編集者・圭祐の甥・かつて子供だった存在)
伊吹が取材対象としてターゲットしたのが友人の父方祖父である森下伸春(元教師でホームレス・小児性愛
伊吹が取材を進めていくうちに、森下伸春の行動と叔父の圭祐に類似点を見いだし戦慄して幕を閉じます。

森下伸春は伊吹視点の物語では死者だったのですが、次章「僕のライフ」で彼視点に変わり、伊吹が探し求めていた「森下伸春がどんな人間だったのか」を読者だけに教えてくれる物語となっています。
小児性愛者の視点で描かれているここが、私はこの作品のキモだと解釈して読んでいました。

そして終章「エピローグ」では、伊吹の母親・春江と1章から通じて登場している圭祐の従兄弟、大貫宏一(異性愛者)の視点で圭祐と我が子の日向(圭祐から見て従甥(じゅうせい))のやり取りと、宏一の妻の小児性愛への憎悪や警戒が語られる物語となっています。

各物語で、都度己の無知と無関心を痛感させられるお話でした。
ネタバレさせずに感想を書くのが非常に難しいのですが、小児性愛者の犯罪行為を赦すなどあり得ないながらも、さてでは自分は「マイノリティの葛藤」を認識した上でその持論を持っているのか、という意味で横っ面を張り飛ばされるような感覚を覚える作品です。

BLの巨匠、あの木原さん、と喜んでBL気分で飛びつくと痛い目に遭う内容かと思います。
BL好きな人は(各小説賞の総評を拝した限りでの私見ですが)
・恋愛の成就までの過程を楽しむもの
・濃厚な濡れ場必須
・人間ドラマは不要、恋愛にのみ注目させた内容
・マイノリティを誇張するなど重い話だとNG
・萌えとか攻受の役割分担明確にとか(以下略)
とのこと、そんな期待を抱いて読んだ腐女子さんがどんな感想を抱くのかしら、と、このあおり帯に不安を覚えてしまったので、感想やレビューが怖くて覗けていません。

内容はBLじゃありません。
私の読書不足に過ぎないとは思いますが、今までここまで赤裸々にマイノリティ側の葛藤を表現している作品と出逢ったことがありませんでした。
元々BL作品として執筆されている木原さんの作品には、エロ重視というよりも、この手合いの葛藤を取り上げている作品が多いので作家買いさせていただいているのですが、この「マイノリティ」の部分は、何も同性愛者だけでなく、実に様々なマイノリティがこの世の中には存在していると思います。
ある面でマイノリティである立場の人が、ほかの面でマイノリティである別の誰かを平気で差別したり偏見の目で見たり、ということが往々にしてある、ということを、自分を含めた多くの人が気付かされるのではないかと思います。

この作品を読んで(私はリアルタイムに生きてきたためか)連続幼女殺害事件の宮崎勤氏を思い出しました。

幼女殺害事件の宮崎勤とはいったい何者なのか 篠田博之

こちらに書かれている2008年8月号の月刊『創』を入手できないことが残念で仕方がないです。
犯罪を未然に防ぐためには、如いては子供たちを守るためには、まず知ろうとすることから始めなくては…本作中の多くの人が述べている
「子どもに欲情する変態なんて犯罪者予備軍だから、みんな牢屋に放り込めばいい」
という短絡的な方法では解決しないと思わされる森下伸春の生涯でした。

そして、数奇な縁で伊吹を介して読者が震撼させられる、森下と圭祐の類似性。
森下と同じ心の葛藤の末に取った選択・行動が圭祐に表われたとしたら、日向は…と背筋の凍る予感を残して本作は終わります。

読了後、読者ははたと気付かされるのです。

人は、受けた仕打ちや経験から行動を選択する。
失うと怖いものはなくなる。
窮鼠猫を噛む。
排除へと安易に突き進んだ先にあるのは、犠牲者の量産ではないか?
放置したりお手軽に排除なんて選択をしたりすることは、「虐めに加わっていないから加害者じゃない」と主張する傍観者と同じで、半加害者になるんじゃないか?
じゃあ、自分は何をすれば、どう考えれば、どう感じれば、どう行動したらいい?
何も、解っていないし気付こうとも見ようともしていなかった自分に愕然とさせられるのです。
子供のいる親だけが当事者ではないと思います。
かつて誰もが子供だったはずで、犠牲者にならなくて済んだのは運がよかっただけのことで。

そんな焦りや不安を感じる一方、自分ではどうにもならない「持って生まれたもの」を背負わされて生まれた彼らを、知りもしないで断罪していいのか、実行していない者にまで「犯罪者予備軍」とレッテルを張っていいのか、彼らの苦悩や葛藤を軽減するために何かしたのか?という自責の念にも駆られてしまう、そんなハードな内容です。

「生まれたときから罰ゲーム」
「あんた銀シャリは好きかい?そうか、銀シャリは美味いよねえ。あんたらは、それがなぜ美味いかなんて考えたことがないだろう。だけど僕はずっとそれを考えろと言われ続けているんだよ」
「君は僕と同類だと思っているのだろうけれど、それは違うよ。ゲイを嫌悪するのは好き嫌いの問題だけど、僕ら小児性愛はすぐ犯罪と結び付けられる。君らはいいよね、いずれは理解される日がくるだろうけれど、僕らは犯罪を犯さない限り理解しようとさえしてもらえない。言い換えれば、理解されないから犯罪に走ってしまう。僕らのほうが低い位置にいるんだよ」
「金もない、家もない、家族とも縁を切ったら怖いものがなくなった。だから、残りの人生は自分のしたいようにできる。堕ちるというのは、自由になることなんだなあ」


散りばめられている心の吐露一つ一つに、強いられた「罰ゲーム」を感じさせられ、胸をかきむしられる気分になりました。
自分の生活でせいいっぱいで身近に感じられないであろう、こういうことに対し、自分から関わりたくないと思う人が多いのかもしれません。
でも、知るべきこと、関心を寄せるべきことだと気付かせてくれる秀逸な作品だと個人的には思いました。
不寛容が当たり前になってしまった昨今ですが、「情けは人の為ならず」の元々の意味である「人に情を寄せると巡り巡って自分に返ってくる」ということの一つではなかろうか、と。
上目線ではなく、対等な立場として様々なマイノリティへの関心を持ち、無理解や無知から相手を傷つけてしまうかも、ということを恐れずに、そしてマイノリティの方々が諦めてしまいたくなるような無関心ではない自分でありたい、と強く思わせる作品でした。

愛の墓場、というタイトルが、読後より一層切ない思いにさせる作品です。
圭祐や森下伸春の中に、宮崎勤とその中にいる「今田勇子」を垣間見た気がしました。

結局まともな感想文にならなかったな…(がっかり)
一人でも多くの人が興味を持ってくれたらと思います。

繰り返しますが、BLではありません。
BL嫌いな人や興味のない人、ほか性的指向についていろいろ思うところがある人にも一読していただけたらと切に願います。