【12.07.21.】『SAW』シリーズ(5.6.FINAL)鑑賞
あらすじ:
ホラー映画シリーズ全世界累計興行収入史上NO.1を記録した、ソリッド・シチュエーション・スリラー。
《SAW5》【R15+】
九死に一生を得て助かったFBI捜査官ストラムは、ゲームから生き残ったホフマン刑事をジグソウの後継者ではと疑う。一方、弁護士に預けられたジグソウの遺言と遺品を見て衝撃に襲われる元妻。果たして、ジグソウが遺したものとは…。
《SAW6》【R15+】
FBI捜査官ストラムが死体となって見つかり、指紋が残されていたことなどから、ジグソウの後継者はストラムではないか、と言われる。
《SAW THE FINAL》【R15+】
ジグソウのゲームを生き残ったボビー・デイゲンは、マスメディアに取り上げられ現代のイコンとして脚光を浴びる。彼のもとにはゲームのサヴァイヴァーたちが群れ集ったが、彼の過去にはメディアも知らない秘密があった。
(Oricon」データベースより)
【ここから感想です】
先に鑑賞済みの方からは、どんどんグロに偏っていってる、みたいな話を聞いていたのであまり期待せずに見ておりました。
実際、私も4まで鑑賞を終えたときにはそんな印象だったんですね。
視覚へのショッキングな刺激に偏向していってて、内容的なものが薄っぺらになっていってるなぁ、とか、拷問グッズ(?)のギミックに凝ってるだけで、私の好む、心理描写的な部分が単純に怖がってるだけの登場人物たち、という感が拭えませんでした。
――が!
5からこれまでの伏線回収話になってる、と申しましょうか。
思わず1から見直したくなるほど、
「あ、ぇ?! この人ぉっ!? うそ!」
の連続で、うろ覚えの部分も、その後実は、というソリッド・シチュで回想部分を見れば、1-4までの話の流れを鮮明に思い出させる内容で。
それでいて新鮮に見れるという不思議。
4でジグソウが亡くなってるので、惰性で続けられた話かと思いきや、そんなことはありませんでした。
そして自分でふと想像が浮かんでしまって怖くなったのは、ある意味でものすごくリアルだったこと。
敢えて言わずとも巷をこれだけ賑わせているのでご存知の方が多いとは思いますが…。
私には、ゲームを強いられた登場人物たちの言動が、世間を賑わせている某事件の加害者と言われている人たちとかぶって見えてしまいました。
そして、命や生きるということに対して真摯に向き合うためのゲームと称してコトを遂行するジグソウが、web上で某事件を語る名も知らぬ誰かたちに見えました。
これが、5までの感想、というか、連想してしまった嫌なモノ。
6からFINALに向けての話の流れの中で、もっと嫌な自分を感じてしまったのは、ジグソウの行為が正しく見えてしまったこと。
彼は、私怨や義憤からゲームを仕掛けているわけではない、と感じてしまったんですね。
そう思ってしまうくらい、登場人物たち皆が皆、大義名分で自分をごまかしながら、結局保身や私利私欲のためにゲームに参加していたり解明しようとしていたり。
巻き込まれた犠牲者だとばかり思っていた人物が、実はこうだった、ああだった、というどんでん返しが多々ありました。
これはもう、ちょっとでも話したらNGだよな、というくらいビックリした;
そしてまさかまさかのキーパーソン。
1へ帰結するとは…。
この作品は、途中から監督が変わっています。
なのに、ちゃんと一連の流れになっているのがすごい、と。
もう溜息しか出ないFINALでした。
ひとつだけ、ちょっとネタバレ。
6にて、メインとなったゲームプレイヤー・保険会社のおっちゃんの話なんですが。
彼は結局、とある一家の主が病気になったとき、保険金を支払いませんでした。
これは痛烈な社会批判な部分かも知れませんが、
「極東では(恐らく日本のことでしょう)健康なときに金を払い、病気になったら無償で治療を受けられる。この国は医者や患者が治療する価値や意義を決めるのではない、保険会社が決める」
と、罵られるシーンがありました。
保険会社のおっちゃんは、愛する家族を人質にとられ、それを助けるためにゲームでボロボロになりながらゴールに向かいます。
間あいだに挟まれる、息子さんとそのお母さんのやり取り。
これが保険屋の家族なんだな、と思って見たいたら、実は上述の保険金支払いを拒否られた人の家族だったんです。
そのお母さんの言葉がなんとも胸の痛くなる言葉たちでした。
ジグソウは、保険屋が見捨てた顧客の遺族に問い掛けます。
「あなたたちにこんな仕打ちをして申し訳ない。これには深い事情がある」
「彼は、自分の愛する家族の為に、自分の身を投げ出して、家族を守るためにここまで辿り着いた。だがあなた方の家族を守ろうとはしなかった。あなた方は、この男をそれでも赦せますか」
その問いに対し、お母さんは言い放ちます。
「私があなた(保険屋のおっちゃん)を赦せないのは、私たち家族を苦しめたからではない。あなたをこのまま生かしたら、私たちのように苦しむ家族が、あなたに殺される家族がこれからも生まれ続ける。私はそれが赦せない」
お母さんは、彼の命を握るレバーに手をつけるものの、でも結局、
「出来ない」
と泣き崩れてしまいます。
保険屋に父親を切り捨てられた息子くんが、
「俺は赦せない。俺がやる」
と、お母さんに代わってレバーを下ろしました。
私はこの親子のどちらの思いも共感を覚え、だけどそれは相反するものでもあり、最後まで悶々と、そして未だに答えが見つからずに悩んでいたりします。
赦せない。
だからといって、命を自分の意思で左右してしまっていいのだろうか。
赦したい。それが連鎖を断ち切る唯一の手段だと思うから。
だけど、生かしてもらっているという感謝のない人間は、残酷なほど己の過失も罪も一度は抱いた恐怖すら、日常になれてしまえば忘れてしまう。そしてまた同じことを繰り返す。
この辺りの、人の在り様がやたらリアルで、何度か一時停止を押して休憩しながら見ないと神経がもたない、という内容でした。
赦すべき、赦したい、というのは綺麗事の理想論だと思う自分もいて、だけどそれじゃあバッドスパイラルに嵌るだけだよ、と思う自分もいて。
ジグソウのその理念は理想論の綺麗事、だけれど、それを実行している人だと、どこか好意的な印象に変わったのは否めません。
そんな自分が、ちょっと怖かったりします;
ただ、ああいう手法はどうなの? とは思いますが;
でも実際、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たないと、人間どうしようもないくらいわからないんですよね;
このシリーズ最大のヒール、ホフマン刑事がすべてを焼いてしまい、ジグソウの人形も諸々の資料や機材もすべて消えてしまいましたが。
だけどジグソウの概念だけは引き継がれて、そしてその先はどうなるんだろう?
FINALと銘打ちながら、私にとっては終わりのないお話だと思いました。
殺伐とした今日(こんにち)のニッポン、今一度踏みとどまって、この極当たり前な
「生かしてもらっている立場なのだ」
ということについて考えてみたら、とか思ったり思わなかったり。
ぶっちゃけ、映像的にはキモチワルイです。
レイティングの都合でしょう、新しい方になるほど血糊の色などはリアルじゃなくなって来ているのではありますけれど。
マタギをしていた父を持つ私は、映像そのものよりも、それらを見て子どものころに散々見ては吐き狂っていた、マタギ仲間をうちに集めて庭で熊や猪etcを解体していた光景を思い出してしまって、勝手に臭気まで添付されてしまいました…。二度見たいとは思えません…;
と言いつつ、人間心理を深く掘り下げている良作だと思います。
しかし当分動物性たんぱく質は摂取不可。