【12.03.27.】『塩の街』感想
あらすじ:
塩が世界を埋め尽くす塩害の時代。
塩は着々と街を飲み込み、社会を崩壊させようとしていた。
その崩壊寸前の東京で暮らす男と少女。
男の名は秋庭、少女の名は真奈。
静かに暮らす二人の前を、さまざまな人々が行き過ぎる。
あるときは穏やかに、あるときは烈しく、あるときは浅ましく。
それを見送りながら、二人の中で何かが変わり始めていた。
そして―
「世界とか、救ってみたいと思わない?」。
そそのかすように囁く男が、二人に運命を連れてくる。
第10回電撃ゲーム小説大賞・大賞受賞作。圧倒的な筆力で贈るSFラブ・ファンタジー。
(「BOOK」データベースより)
【ここから感想です】
有川さんのデビュー作=第10回電撃大賞大賞受賞作品。
何がこうも序盤から読み手を惹き込ませるのだろう、というのが解らないまま引き込まれている逸品でした。
図書館戦争から入って、ほか有川さん作品を読破しているのですが、これまでずっと
「担当さんや編集さんとのタッグで有川さんが育んで来た作品たち」
と思っていたのですが、侮っていたというか見くびっていたというか、この人は最初からこうだったのか! と…。
コミカルで笑えるのが、この作品までの間に私が読んで来た有川さんの作品ですが、デビュー作の本作は、ガチンコでした。
笑えるとか楽しいとかエンターテイメントとかで惹き込まれていたのではない、と打ちのめされました。
解りやすいベタな設定と言われてしまえばそうなのかも知れませんが、「塩」と称されたソレが実際に存在するものなので、ものすごく、じわじわと来る恐怖感がありました。
ホラではないんですけれど;
焦点は相変わらず(?)、「何が正しく、何が正しくないのか」というところに着目してしまった私です。
嫌でも過去の自分を振り返らされますね。
疑うこともせずに己の正義を正義と言ってしまうことほど、害悪でうっとうしくて迷惑極まりないものか、と思わされる。
でもではじゃあ、何を物差しにすれば?
その答えは、ないのです。ない、というか
「己で決めろ。自分が決めろ」
そんな価値観の人が数多登場いたします。
フィクションの中に、現実味のある生々しい人間が多数存在するのです。
嫌でも我が身を省みさせられる。
そのとき、作中で「うゎぁ、こいつ嫌いだわ」と思った人物と自分が被ったときのへこみ具合は半端ではありません。
どこか今の世界を思わせる「極限状態」だとも感じさせられました。
平和だから、綺麗事を言えるけれど、これが崩壊したとき、じゃあ自分は秋庭さんになれるか、真奈であれるか、それとも遼一のような道を選ぶか。
トモヤは本当に「死んでもいい存在」だった?
じゃあ、真奈の隣人のオバハンはどうなの?
入江サンの冷徹さが、至極まっとうに見えたけれど、でもああはなりたくないような、でも自分がその身を置かざるを得なかったら、彼みたいな考え方が一番、楽。
…とか、どうしても昨年の震災が脳裏をよぎります。
あれも一種の「極限状態」。
幸い免れることの出来た自分は、妙な罪各館に囚われたり動揺したりしましたが、そんな過去の自分が、どうしてもこの作品に出て来た名もなきエキストラたちに見えて、ものすごく自己嫌悪してしまいました。
――と変な読み方をした1ターン目。
2ターン目では、やっぱり徹底的に調べ上げた上でのリアルかと見間違えさせるようなフィクションとか、設定とか、そしてやっぱりミリヲタ万歳(笑)、だとか、設定や世界観に惚れ惚れとし。
3ターン目で散々悩んだ末うん、有川さんの作品に於いてだけは、私スナオにメインのイケメンが好きっVvvと秋庭萌えでトチ狂ってました。笑
ただ、ミリヲタ系話で繋がっていた所為か、ちょっと秋庭さんと堂上教官、入江さんと小牧教官がキャラ被りました。
堂上教官から粗熱取ったら秋庭さん、小牧教官から鞠絵ちゃんを剥奪したら、あんな渇いた感じの人になるのかな、みたいな。
真奈ちゃんは、必死で可愛くて、うーん、だけど、上遠野さんちの「ブギーポップ」シリーズに出て来る綾ちゃんとキャラが被ってしまい、頑張れば頑張るほど足手まといになってしまうというか;
ごめんなさい、オナゴに厳しいこと言っちゃ可哀想だと思いつつ、私は強いオナゴスキー。
そんな偏見があったからか、緒方剛志さんのイメージで読んでました。
(正確には、アニメブギーポップのキャラデザ、須賀重行さんの画風で)