本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【20.04.13.】『流浪の月』感想

 

流浪の月

流浪の月

あらすじ:
【2020年本屋大賞受賞作】
せっかくの善意を、わたしは捨てていく。
そんなものでは、わたしはかけらも救われない。

愛ではない。けれどそばにいたい。
実力派作家が放つ、息をのむ傑作。

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。
わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。
それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。

再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。
新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

 

【ここから感想です】

 

15年前の幼女誘拐事件の犯人と被害者だった少女が再会してからのあれやこれやのお話。

私が唯一BLジャンルで作家買いさせていただいている作家さんです。
(と言いつつ、すみません、『神様のビオトープ』はまだ入手できておらず…)
BLはラノベに括られている電子書店が多く、実際に内容も様々なお約束事があるので、文芸とは別枠という印象なのですが、凪良さんの描く人間像は(BLを軽んじているわけではありません、と念のため注釈を入れておきます)文芸作品で多くお見掛けする、人の内面を抉ってくる登場人物が多く、BLだけではもったいない、とずっと思っていました。
別にBLジャンルを軽んじているわけではないです。(2度目)
BLというだけで手に取らない人が多い、というのが現実だと思うからです。
BLジャンル特有の「お約束」があるので、それはそれで無理からぬ話なのですが、凪良さんの作品はそれだけではないので、広く知られないのがもったいない、と常々思っていた、という意味です。

ほか作家さんの名前を出してすみませんが、木原音瀬さんもそう感じる作家さんの1人です。
(参照記事:【17.11.01.】『ラブセメタリー』感想
自分の推し作家さんがまた1人、今回の本屋大賞受賞により多くの人に読んでもらえることになりそうで、とても嬉しく思い、文庫化を待たずに購入した次第です。

本作は、9歳のときに誘拐事件の被害者とされた少女「更紗(さらさ)」と、彼女を誘拐した罪で逮捕された、その当時19歳の大学生だった青年、「文(ふみ)」の、過去と現在の物語です。
被害者“とされた”と表現したのは、更紗にとって、それは誘拐ではなかったからです。
そういう事件が過去にあったな、と、物語の序盤ですぐ思い出しました。
周囲はストックホルム症候群と断定し、少女のメンタルケアに入ったとか、容疑者とされた男性に容赦なくマスコミがフラッシュを焚きまくる光景とか、当時誘拐された少女が容疑者の青年を「悪くない」とかばっていた、などの話を情報番組で見聞きしたときの不快感を思い出しました。

事実と真実は違う。
周囲の人たちから叩きつけられる哀れみや気遣いや好奇の中に、悪気のなさや善意、思いやりとやさしさを見る。
それが分かってしまうから、疎ましいと思ってしまうことに罪悪感を覚える。
だけど、私が、彼が、いったい何の罪を犯したというのだろう。
どんなに言葉を尽くしても理解されない孤独が、文を居場所と感じさせる。
たった1人の真実を知っている人で、私が何を求め、どう感じているか分かってくれていたであろう人だから。

更紗の心情描写として綴られている、そう言った意味合いの言葉が深く突き刺さる内容のお話でした。
文の逮捕当時や、その後いく年かの間で浴びせ続けられる、周囲からの「善意からの気持ち」に押しつぶされそうになり、心がひしゃげていく更紗の過程は、かつて実際に起きた事件をモニター越しに観ていた第三者でしかない私に、羞恥や自己嫌悪、垂れ流される報道を鵜呑みにして「疑う」という概念すらなかった愚鈍さを思い知らせてきました。

誰にも知られたくない、怖かったから。
だけど、誰かに知ってほしい、怖かったから。

文の更紗への告白として紡がれた、そう言った主旨の「真実」は、私を含めて、誰もがどこかで持ち合わせている感覚なのではないか、と感じさせる(でも重みが全然違う)、吐き気を伴う共感で、一時読むのを中断してしまうほどでした…。

どこか共感を抱く面があるくせに、第三者になった途端、それを忘れて他者を自分の中で「こうであるのが“普通”」と決めつけて他者を判断することで、当人がどれだけの深くて癒えない傷を、それも一生涯負わされなくてはならないのか、と我がことに置き換えて考えさせられてしまう内容でした。

これまで、自分の中では、「真実」は人の数だけ存在し(主観的な概念から導き出された認識)、「事実」は1つしか存在しない(客観的な視点から導き出された認識)と思っていた私です。
ゆえに、「事実」という客観的な視点認識が「正しい」と思っていました。
でも、この作品を読んだら、その概念が覆りました。
客観もまた、集合的意識から導き出される主観なのかもしれません。
大多数の人間が「こう」と思う認識から外れるから、「ストックホルム症候群に違いない」と断定する。
この恐ろしさと痛々しさを感じるお話でした。

この作品内で起きた誘拐事件には、複数の社会問題が複雑に絡み合っていて、今の私には迷宮で「どうすればいいのか」という妙案が浮かびません。

真実を、本当のことを伝えなくちゃ文が犯人にされてしまう。
大好きなのに、犯人なんかじゃないのに、だけど、真実を言えない。

身を切るような更紗の想いもまた、読んでいるこちら側も胸を掻きむしりたくなるほどの思いを共有させられます。

俺もハズレだと捨てられる。

思春期の序盤からずっと抱えていた大きな悩み、でも思春期だからこそ、加えて母親がそういう人だったからこそ、言えなかったという文の恐怖。
私は、どちらかと言うと文に共感する部分が多かったです。

男女であれば恋愛感情を抱くはず。
犯罪の被害者と加害者なら、傷つけた者と傷つけられた者という関係のはず。
親はこうあるべき、子はこうであるべき…。
本当に、そうだろうか?と思うエピソードも多々ありました。
人と人との関係に「名前」が付けられていない関係は、存在してはいけないんだろうか、とか…。
本当に、いろんなことを考えさせられる作品でした。

BLでは「ハッピーエンド」がお約束なので、本作もある意味では「ハッピーエンド」なのですが、大団円とは言い難い、厳しい現実を突きつけるものを含めてのそれなので、凪良さんの作品で今の社会の在りようを反映する、こういう作品を読めたのは、本当に…感謝、ですかね?(最適な表現が見つかりません。汗)

某インタビュー記事の見出しに「BLを飛び出し」「解放され」などの文字があり、凪良さんがtwitterで「卒業もしてませんし飛び出してもいません」と釈明しておりましたが、あのジャンルを好む方は、とおおおっても繊細な方が数多くいらっしゃるので、妙な方向へ誤解されかねないからだろうなあ、と苦笑してしまいました。
でも、ジャンルを問わず雑多に読む私も、
「BL特有のお約束から解放されて、より生身に近い人間を描かれている作品」
だと思いました。
単純に、「恋愛」「男性同士」「ベッドシーン必須」「ハッピーエンド」のお約束を踏まない作品でも、ものすごく作品の中へ読者を引き込んでくれる作家さんだな、という意味です。
本作は重い過去を背負っている主人公たちなので、あれですが(どれだ)、今度はBLジャンルでも読ませてもらっている「登場人物たちのノリツッコミの軽快さが心地良いコメディタッチ」の作品なども読ませてもらいたいなあ、と思います。

本年度の吉川英治文学新人小説賞の候補にもノミネートされているとか。
すべての新人文学作家さんの作品を網羅しているわけではないので、言える立場ではないものの、本当に素晴らしい作品だったので、受賞してもらいたいなあ、と思います。