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自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【18.07.28.】『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』感想

 

サリン事件死刑囚 中川智正との対話

サリン事件死刑囚 中川智正との対話

 

あらすじ:
「死刑執行されたら出版してください」と彼は言った--

松本サリン事件・東京地下鉄サリン事件では日本の警察に協力し、事件解明のきっかけを作った世界的毒物学者。
彼は事件の中心人物で、2018年7月に死刑となった中川智正と15回に及ぶ面会を重ね、その事件の全容を明らかにした。
中川氏との約束に基づき、このたび緊急刊行。

第1章 サリン事件解決に協力する
第2章 オウムのテロへの道のり
第3章 中川死刑囚との面会
第4章 中川死刑囚の獄中での生活
第5章 オウムの生物兵器の責任者、遠藤誠一
第6章 オウムの化学兵器の中心人物、土谷正実
第7章 麻原の主治医、中川智正
第8章 3人の逃走犯
第9章 中川死刑囚が語るオウム信者の人物像
第10章 上九一色村サリン被害者の現在
第11章 オウム事件から学ぶ、将来への備え
第12章 中川氏最後のアクティビティ
amazon内容紹介より)

【ここから感想です】

 

地下鉄サリン事件発生当時、
「地下鉄で爆発事故らしい、何か情報は入ってないか!?」
「現場に作業員が来ない!何があったんだ、担当者と連絡を取ってくれ!」
などなどの電話対応に追われていた私です。
そして、村井元幹部の刺殺事件の時刻には、そこからさほど離れていなかった当時の勤務先で残業をしていました。
なので、この事件は今でも当時の動揺や混乱を鮮明に思い出せてしまいます。
当時は個人でモバイルを持っていて即時連絡などという便利な時代ではなかったので、情報が錯綜していて、ただただ不安を煽られるだけの数時間を過ごしていました。

この本を読んだら、改めて村井元幹部が刺殺されてしまったことが、テロ集団による民間への襲撃対策への足掛かりを失ったことになるのだな、と思わされました。
村井元幹部は口が軽かったそうで、もし彼も逮捕することができていたら、どうだったのだろうと考えずにはいられませんでした。

中川氏の目を通じて、土谷氏や林氏、遠藤氏など、何人かの幹部の人柄や事件を起こすまでの言動が綴られています。
それらを読むと、例えば遠藤氏と土谷氏が生物兵器vs化学兵器で拘りや執着、優劣を意識していたり、麻原氏の信頼を失うことによって自分がどうなるかという恐怖に囚われていて「できない」と言えない心情などがあったり、私たちと変わらない「普通の人」だと感じてしまう記述が多々ありました。
みな、賢くてプライドが高く、自分の研究や蓄えた知識に自負心を持っている。
それを否定されたり却下されたりすることが、自己否定と受け取れてしまう、という人としての弱さは、誰にでも多かれ少なかれあるもので、そういう部分を巧く利用されたのかな、と思う内容がいくつかありました。

人が人を裁く難しさも、トゥ博士と中川氏が林氏と岡崎氏の判決の違いについて語られる場面などで感じてしまったり、また、江川紹子さんが襲われたときのことも、立件できないから犯罪として成立していないとのことで被害者とされていなかったり、これだけの歳月が流れているのに初めて知ったことも数多くありました。
死刑囚がどのような制約を受けて、自分の内面や犯した罪と向き合って生きていたのかという部分にも触れられており、絶妙なタイミングで刑執行の報道が現在もなされているので、それらからうかがい知る「最期の言葉」などと織り交ぜて読んでみると、麻原氏以外の死刑囚たちは、出会った人があまりにも悪かったとしか思えないくらい、よい出会いがあれば日本が誇れるほどの逸材だったのだろうと思いました。
それが被害者や被害者家族・遺族の慰めになることはなく、当然の判決を受けて粛々と執行されたのですが、それでも救われることはない、とも重々承知しているのですが…。

中川氏が近年、金正男氏暗殺に関して、まだ情報を得ていないうちからVXによる毒殺と推測していたことは、報道からも知っていましたが、その経緯なども詳細に語られており、彼が自身の減刑を図るために貢献したのではないことを強く訴えてくる内容になっていました。

自分が犯した罪によって被害に遭われた方々のような人を再び生み出さないためであると同時に、自分のような加害者を再び出さないために

それが、中川氏の原動力だったようです。
同人誌に掲載されている中川氏の俳句も転載されていました。
自分を哀れむのではなく、なぜこのようなことをしてしまったのかという悔恨や、それでも求めてやまない研究者としての業に近い探求心を感じました。
また彼は、広島移送前に拘置所の倉庫に預けていた関連書類を取り寄せて手許に遺しています。
最期の最期まで、少しでも自分の知り得る情報や知識を役に立ててもらうことで償おうとしていたのだろうかと思わせる執着ぶりを感じました。

被害者やそのご家族、亡くなられた被害者のご遺族の言葉も掲載されています。
実は当時大きく報道されていなかった、上九一色村住民とオウムとの対立や、それに対する警察の対応のことなども、現代に山積している様々な問題と重ねて見えてしまう部分があります。
オウムの元幹部の人たちについても、今を生きる人たちの多くに根付いている「承認欲求を満たしたい」という、人として当たり前の感情とリンクしている気がします。
その方向性を誤り、それが集団となったとき、現在も形を変えてまた世間を恐怖に陥れる事態を招くのではないか、そうならないために【自分は】どうあるべきか、どうすべきでどう考えるべきか、などを考えさせられる内容でした。

リアルタイムで生きていても知らないことが多いし、最も多くを知っているはずの麻原氏は何も語らず、村井氏は語る前に命を奪われており、この事件の真相は藪の中となってしまいましたが、それでもほかの関係者が遺していったものを手掛かりに、今を生きる【自分たちが】、とくに今のような閉塞感に満ちたときこそ、疑心暗鬼や過剰な被害意識を抱かずに物事に対処して「あちらの世界」に引きずり込まれないようにしていかないと、と襟を正す思いになる読後感でした。
オウムの起こした一連の事件を知らない若い世代の方々にも読んでいただきたい本でした。
重複する文面や情報も多々あり、専門的・学術的な部分は理解が難しいという部分は確かにありますが、トゥ博士と中川氏のやり取りの中から、人としての何かが得られると思う内容でした。