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自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【17.12.19.】『グリーンマイル』鑑賞

 

グリーンマイル [Blu-ray]

グリーンマイル [Blu-ray]

  • 発売日: 2014/12/03
  • メディア: Blu-ray
 

あらすじ:
1935年、ジョージア州のコールド・マウンテン刑務所の死刑囚舎房で看守を務めていたポールのもとに、幼女姉妹を虐殺した罪で死刑を宣告された死刑囚コフィーが送られてくる。
ある日、ポールは以前から患っていた尿道炎による激痛に襲われ舎房内で倒れてしまう。
しかし、その時、コフィーが不思議な力でポールの尿道炎を治してしまうという奇跡が起こす……。
amazon.com 内容紹介より)

【ここからネタバレ感想です】

 

かなり、相当前から『グリーンマイル』と『ショーシャンクの空に』は観るべき、絶対に好きなはずだから、と言われていたこともあり、またトム・ハンクスの情感が滲み出るような、くどくないのに伝わってくるという演技が好きなので、観たいと思いつつ一度も観れていなかった作品。
昨晩は関東の放送局でオンエアされていたようでtwitterのトレンドに上がっているのを見て思い出し、huluで探してしまいました。
22日まで鑑賞可能だったので、期間限定に焦りを感じ、万障繰り合わせて衝動のままに観てしまいました。

なんの前情報もなく、ただ「トム・ハンクス主演」「泣ける」「看守と死刑囚の話」くらいしか知りませんでした。
まず、こんなファンタジーな話だと思わなかったので、コフィーが『奇跡の力』を発揮したところで驚いてしまいました。笑
あと、今リンクを張ろうと思ってamazonさんを観て初めて原作がS・キングと知り、「ああ、これは私好みのはずだわ…」と納得した次第。笑

あらすじに間違いはないのですが、作品の冒頭はとある老人ホームと思しき場所での、老人たちの遊興の時間から始まります。
皆の集まるホールで入居者たちが、日本でもありそうなバラエティ番組を観ているのですが、内容が子持ち主婦同士の毒舌バトルという雰囲気のもの。
1人の入居者が、「こんなものの何が面白いんだ」とチャンネルを変えるうちに、古い映画がテレビ画面に映し出されます。
ダンスホールで男女が社交ダンスを踊るシーン。
そこで男性が女性とダンスを踊れたことに「天国だ。僕は天国にいる」と女性を口説くかのような言葉を紡ぎながら踊るミュージカル活劇です。
それを見て、1人の老人が涙する、この老人が主人公のポールです。
彼の友人を自負する老婦人が、その活劇を見た途端に泣きだしたポールを案じて一緒にホールから出て、ポールと共にお茶を飲みながら、事情を尋ねます。
「私が死刑囚の看守だったことは知っているかい?」
そこから44歳当時のポールを現在の老人ポールが語る、というモノローグ形式の物語です。
この冒頭、最初はなんとなく観流していたのですが、最後まで観てからもう一度観返したくなって確認したところ、取り上げたバラエティ番組の内容といい、社交ダンスで取り上げられた歌詞といい、観終えてから初めてそれが物語の一部を示唆する部分だと気付かされました。

冒頭の話だけでこんなに書き殴ってしまった…というくらいには、本編を語ると盛大なるネタバレ&文字数がいくらあっても足りなくなるので、頑張って短く収める努力をしようと思います…。

アメリカのかつての死刑法は電気椅子(オールドスパーキー、だったかな。スラング的なニックネームというか)ということしか知らないでいたのですが、映像にされて初めて気付く、「練習が必要なこと」「神への祈り」「向こうでは被害者遺族が立ち会えるのか」などなど。
死刑執行のシーンが作中3回出てくるのですが、それぞれに鑑賞者へ伝えるものが違うため、同じ執行シーンでも物語が進むにつれて辛さが増していきます。
(グロ的な意味合いではなく)

また、コフィーは、いったい何年、人の醜い心を(本人の意思に関係なく)見続けてきたのだろうか、と思わせる、ラストで老人ポールが友人の老婦人に明かす種明かし。

↓ネタバレなので白抜き文字にします
コフィーは、幼い姉妹をレイプなどしていないし、殺してもいなかった。
なのに、そんな彼をオールドスパーキーに座らせたポール。
もちろんポールが裁いたわけではなく、彼は主任看守であり、死刑を直接執行する者の1人でしかない。
無実だと判っているのにどうもしてやれない、助けられないというポールの苦しみは、コフィーに伝わっています。
「俺はもう、生きていきくないんだ」
「生き続けることにも、人の醜い心を見続けることにも、疲れたんだ」
「これは、俺からボス(ポール)への贈り物」
コフィーにそう言わしめる人間の醜い争いが、世界中のあちこちで毎日繰り広げられている、と、コフィーは自身の生きる苦しさを訴えます。
だから、ポールの「どこまで逃げられるかやってみようか」という言葉に「何をばかなことを言っているんだ」と笑うのです。

↑ネタバレここまで
ポールは自分を生き地獄から救ってくれるのだから、自分の苦しみはすぐ終わるのだから、と、最後まで優しい「神の遣い」のようなコフィーなのがまた辛く…。

そんなコフィーが最後にポールへ望んだのが「活劇を観たことがないんだ。それを観たい」ということ。
その作品が、冒頭で老人ポールが涙した社交ダンスのシーンが流れる作品でした。
2周目に冒頭を観たら、もうそれだけでラスト近くの、楽しそうに活劇を観るコフィーの斜め後ろからの姿を思い出してしまい、涙腺が緩んでしまいました…。

悪いヤツにはそれなりの報いがあり、その点は出来過ぎ感が無きにしも非ずですが、もしそれがなかったら、あまりにも救いがなくて、善人だけがバカを見る、と後味の悪い感想を抱いたかもしれません。
特に、親のコネを振りかざして横柄だったパーシーが、「出世」とは違う意味であの場所で暮らすことになる、という皮肉の利いたラストは、消沈した気持ちをほんの少しだけスカッとした感覚にさせてくれました。
とはいえ、焼け石に水程度のスカッと感ですが…。

生きる難しさ、誠実であればあるほど苦しいという現実、死とは未知であるがゆえに、恐怖でもあり救いでもあるのかも、と思わせる内容でした。
ちょっと当分の間は、スポンジを見るたびに嗚咽が出そうになるかもしれません…。
なぜかは、ぜひ作品を観て察してください…(嗚咽)

あと、E棟のアイドル鼠(笑)・Mr.ジングルスがめちゃめちゃ可愛くて、作品全体に温かみがありつつも切ない雰囲気が漂う中、本当に癒しの存在でした…。
彼にも、そして老人ポールにも、神の赦しと祝福がもういい加減にそろそろ施されますように、と祈りたくなるラストでした。

追記。
グリーンマイルの意味ですが、
実際には1マイルもなく「遠い道」を意味し、獄舎から電気椅子へとつながる古ぼけた緑色の通路を指している。
だそうです(wikipediaより)
作中でも解説があったのですが、うろ覚えだったので自分用備忘録…。
あと、すごくどうでもいい自分得情報…パーシーは本当に嫌いなキャラだったのですが、声だけはイケボ(吹替しかなかったんです;)と思ったら平田さんだった…スパロウ船長…君だったのか…っ。

さらに追記…。
コーフィはなぜポールに「姉妹惨殺事件」の真相を伝えたのだろうか、という点について。
真犯人、ワイルド・ビルがコフィーの死刑が執行されるまでに別件で死刑囚としてくることは想定しようがなかったと思うんです。
コーフィは恐らく、生きることに疲れていたし、無実を晴らす術もないから諦めていただけ、とは思います。
無実を晴らす気もなかっただろう(人の醜さを見続けなくてはならない生に疲れ果てていたので)と思っているのですが。
では、そんな彼がなぜポールに真実を伝えようとしたのか、それを「贈り物」と称したのはなぜなのだろうか、と、まだ答えが出ていないので、22日まで何度か見直そうと思っています。

・暗闇が怖いコーフィ=理解されない孤独の象徴
・ポールにだけ真実を告げたかった心理=諦めていつつも、誰かに理解してほしかった
・作家都合=姉妹惨殺の真相をポール(=鑑賞者)に伝えることで伏線回収
・作家都合=ワイルド・ビルは出すべくして出した存在だから、それを鑑賞者に納得させるため

コーフィが「贈り物」と称したそれを、老人となったポールは「神の遣いだったコーフィを電気椅子に送った罪の罰」と称しています。
まだ読み込みの浅い読解力不足な人間なので、もう少しこの辺を見直し&原作を買って読んで理解していきたいな、と思います。