本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【17.11.17.】『きみに読む物語』感想

 

きみに読む物語

きみに読む物語

 

あらすじ:
 わたしは、ありふれた男だ。
 でも、わたしには全身全霊をかたむけて愛する女性がいる―身分ちがいの恋を乗りこえ、結婚したノアとアリー。
 が、アリーの病気が、長く幸せな結婚生活を引き裂いた。
 記憶を失った彼女のため、ノアは二人の愛の軌跡を綴った物語をひたすら読みきかせる…
 世界中をあたたかい涙で包んだ究極の純愛小説。
(「BOOK」データベースより)

【ここからネタバレ感想です】

 感想の前に、このレビュー記事を書くに当たって、amazonさんの作品詳細をくまなく読んだところ、新たに初めて知ったことが。
(引用は上述リンク先にあります)
 あまりにも衝撃的な「読む前にネタバレか!」とツッコミを入れてしまった出版社(ソフトバンク文庫です)のレビューに泣き笑いしました…。
 白文字にしておきますね。^^;

レビュー
 わたしは、ありふれた男だ。でも、わたしには全身全霊をかけて愛する女性がいる……

 10代で恋に落ちたノアとアリー。
 ブルーカラーのノアと令嬢のアリーは親たちによって仲を引き裂かれますが、お互いの思いを忘れられない二人は困難を乗り越えて結婚します。
 それから数十年の年月がたち、病気で過去の記憶を失ってしまったアリーのため、ノアは二人の思い出を綴ったノートを手に毎日妻に愛の軌跡を読みきかせます……
 初恋を貫く二人の奇跡の純愛を描いたこの物語は世界中で大ベストセラーとなり、映画化もされました。
 60年以上も一人の女性を愛しつづけ、老人となった今でも妻に「恋」をしているノア。

 そんな映画みたいなことが起きるなんて、と思うかもしれませんが、この愛の物語は、著者スパークスの妻の祖父母がモデルで実話をもとに生まれたのです。
--出版社からのコメント


 じ、実話をもとに生まれた作品だったのか…。

 先般の映画版感想で、私は何度か「あり得ない」という言葉を出していましたが、事実は小説より奇なりというか、感動改めてと言うか…。

 ――と、ここまで本文を読む前に下書きしておりました。

 以下、ようやく感想という形です。
 冗長な感想文になってしまい申し訳ありません(いつものこと)

 まずは難点と感じられたことから。

 私の読書経験から来る個人的な感想ですが、漢字の開きが多かったので、ひらがなの長い一文が続くときは読んだその場で意味を咀嚼できず、物語の流れを中断されてしまいました。
 それと、一章(一連、かな?)の中でノアとアリーの視点が交互に入ることに加え、主語がないためどちらの言葉なのか心情描写なのか、と戸惑う場面がちらほらと。
 翻訳された海外の作家さんの作品を読みつけていないので、日本の小説作法とは違うのかもしれませんが、
「視点変更は一連または一章ごと」
 というお約束の文章に慣れ切ってしまっているので、そこが頻繁に変わったとき、その場面に没入していた感情が不意に醒めてしまい、残念でした。
 そして、構成。この点には映画に軍配が上がってしまいます…。
 映画でも原作でも、冒頭は今現在の高齢期ノアの登場から始まるという点は同じなのですが、原作では時間軸が行きつ戻りつすることと、モノローグとして語られる構成だったこともあり、少々説明文を読んでいる、という感覚が。^^;
 この点、映画ではノアとアリーが出逢ったところから時間の流れに従って物語が展開していく構成だったので、出来事やそれに対する2人の想いも整然と整理されており、感情移入や共感に専念できました。

 などと、先に映画作品を観てしまったため、ついつい意地の悪いあら探しのような比較をしてしまった部分もありますが、映画作品の補強になる部分もあり、リアルな部分もあり、という内容でした。
 映画作品のほうが、よりドラマティックな脚色をされているように感じます。
 それだけに、原作はエンタメとしては非常に淡々とした出来事の羅列に見えなくもないです。
 例えば、アリーの婚約者、ロンは、映画では戦時中アリーが奉仕活動をしていた病院に担ぎ込まれた負傷兵で、戦争が終わって本来の職業である有能な事業家(だったと記憶)に戻ります。
 でも、原作では兵役にも出ていないボンボン…いや、有能な弁護士ではあるんですが…。
 ただ、「実話を基にした物語」だと思うと、その淡々とした流れに生々しい現実味を感じたりもしました。
 これまた例えば、映画作品では戦争が終わって帰ってきた(彼はブルーカラーだからなのか、兵役についていました)ノアは仕事もせずにアリーと昔語り合った家のリフォームに固執していましたが、恩給とこれまでの預貯金と(多分。アリーと出逢ってほどないころ、遊び歩くことをしないから働いても給料を使う機会がないと言っていたので)前の家を売却したお金でリフォーム資材の費用と生活費を賄えるのかしら、という疑問が原作では納得のいく資金源を明示していたり、など。
 文章ならではの良さがあり、また映像だからこそ可能だったエピソードや演出もあり、と、比較すること自体が間違っているのかも、と思った次第です。

 原題「Notebook」とあるとおり、原作はレポートのように淡々とした記述で、これはスパークス氏の書き口なのか、あくまでもアリーという文章の面では素人の人がしたためたことを文章の書き口で表現しているのかと邪推してしまうくらい、レポートでした。^^;
 でも、出来事がそんな淡白な備忘録になっているのに対し、ノアに対するアリーの想い、アリーに対するノアの想いの記述に関してはとても繊細な表現で、なのにやたらしつこい比喩や抒情的な言葉を使わずにアリーの葛藤やノアの募る想いを伝えてくるので、そのギャップを楽しめる方には共感しながら読める作品だと思います。
 私は日本人作家の小説ばかり読んでいるので(読んだことのある海外の小説はハリポタとアガサ・クリスティとヘッセとカミュくらいで;)、淡々とした書き口に物足りなさを覚えたクチです…。

 ただ、この作品が絶賛されたのは、60年という長い歳月を経ても変わらない愛、という純愛だけにスポットを当てての賞賛ではなく、ノアの浮世離れしている人間性と、それ故に保ち続けることが可能だったのだろうと納得してしまえるほどの、彼の真摯な生きざまや、そんな彼にも分け隔てなく降りかかってくる「老い」という残酷な現実への悲哀なども人の心を揺さぶったからではないかと思いました。
 原作の冒頭で

 ロマンティストはこれをラブ・ストーリーと呼び、皮肉屋は悲劇と呼ぶだろう

 とノア自身に語らせますが、まさにその通りで、この作品を読んだ感想が、そのまま読んだ人の人間性や価値観を表すのではないかとさえ思えるくらい、私はノアの在りように悲劇と幸福の両方を感じる凡人でした(苦笑)。