本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【18.05.02.】『君の名前で僕を呼んで』感想

 

あらすじ:
原題:Call Me By Your Name
「あとで! 」乱暴で無愛想でそっけなくて冷淡なその響きは、オリヴァーについて真っ先に思い出す言葉だ。
十七歳のあの夏、エリオがオリヴァーと過ごした日々は、鮮やかな記憶として今も消えずに残っている。
毎年、夏休みになるとエリオの家に滞在する若い研究者のひとりでしかなかった彼の最初の印象は、
好きになれるかもしれないし、大嫌いになるかもしれない男だった。
しかし、すぐにエリオは彼から目が離せなくなり、話ができれば幸せに、
よそよそしい態度をとられれば傷つくようになって──。
切なくも甘いひと夏の恋を描いた青春小説。

映画を見る前に読むべきか、
映画を見てから原作を読むのか、
どちらがいいのか誰にも分からない。
──ジェームズ・アイヴォリー
amazon「商品紹介」より)

PHANTOM FILMより
4月27日(金)公開『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告


4月27日(金)公開『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告



【ここから(追記したために)ネタバレになってしまった感想です】

 

2018.05.03. あまりにも初読と再読とで感想が違ったので、追記部分を含めた形で書き直しました。

映画化されて日本でも公開、ということで、原作と映画作品の両方を楽しんでから感想を書こうと思っていたため、発売日から数日後に読了していたのですが保留…と思ったまま、原作のほうの感想メモし忘れていました。

見比べてみたいと思ったきっかけがこちらの記事。

町山智浩 『君の名前で僕を呼んで』を語る

『ゲイとしての葛藤は全くなし』という見出しとその内容が気になって。
1983年が舞台設定なのですが、まだその当時は今以上に性的マイノリティを理解しようとする動きが少なかったのではなかったかと思ったので、ちょっと興味を持った次第です。

ざっくりと映画感想を。

1.ティモシー・シャラメ演じるエリオの、言葉ではなく表情で感情を伝えてくる凄まじさに圧倒された(特にラストシーン)
2.アーミー・ハマーの顔と上腕二頭筋だけでなく声にも惚れてまいりました。笑
3.なぜオリヴァーとエリオの電話でのやり取りで、オリヴァーのリアクションを原作と変えたのか?
4.なぜ5年後や15年後のエピソードを端折ったのか?
5.いくらマイナー作品でも、このジャンルを好きそうな方々が放っておきそうにない作品は公開数日後にパンフレットが完売すると学んだ

初読の感想
3と4は、そのほうがラブストーリーとしてきれいに収まるからかな、と思わないでもないですが…。
感想としては、オリヴァー酷いなあと思うけれど、大人としてはそういう決断をせざるを得ないよな、という理性と感情の板挟み気分になりました。
その部分が、映画だと「あれ?」というくらい原作と違う印象になるような脚本変更(?)がされておりまして、「へ?」となってしまった、というのが正直なところでした。
私が理解力乏しいだけだとは思うのですが、原作よりもエリオの成長とオリヴァーの残酷感が薄味になってました。
オリヴァーが「君の名前で僕を呼ぶ」という行為に対しての反応が違った、ということと、5年後&15年後の再会エピソードが端折られていた、というだけの違いなのですけれど、私には随分と真逆に変えたんだなあ、という印象でした。
作者さんがゲイ・カップルとして登場されるくらい、その変更を受け入れているので問題ないのですが、個人的には、原作のほうがリアリティがあったので、そちらのほうがより切なくて好きな終わり方でした。

 

これは大きな自分の解釈ミスでした。
上述リンク先の対談コラム(?)で語られた
「この作品は、作者のアンドレ・アシマンの自叙伝的なもの」
というような話が私の中で衝撃的過ぎて印象に残り過ぎてしまったことと、

感想記事初回投稿後の追記部分
映画に関しての蛇足が数点。

町山さんが対談で仰っていた「僕が行ったことの断片を繋ぎ合わせる一言が最後に出て来ます、この映画は」「ああ、そういうことか!」が分かりませんでした…っ。
最後の最後、本当に最後の一言は、家政婦さんの「エリオ」なんですよね。
自分が聞き漏らした可能性もありますが…。
その前には、エリオがオリヴァーとの電話で彼を「エリオ」と呼び、オリヴァーはエリオを「(ネタバレになるので伏せておきます)」と言う流れから、エンドロール&エリオの筆舌しがたい激情を表す表情のあとで、この家政婦さんの呼びかけ「エリオ」で、エリオがそれまでの激情に満ちた表情を、微笑とも嘆きとも言えない表情に変えて振り返る…という終わり方なのです…咀嚼も理解もできなかった…。<そういうことか!の部分
どなたか「そういうことか!」と分かった方がいらしたら教えてほしいくらい…なので、あとでレビューや感想を探しに行きます。笑
追記
「君の名前で僕を呼んで」北イタリアの田舎町で出会ったエリオとオリヴァー。二人の恋はアプリコットの樹。恋する気持ちを繊細に描く恋愛映画。ティモシー・シャラメ主演映画【感想】
見つけました!
そういうことだったのか!(そのまんま)
やっぱり私は感受性に乏しいと思い知りました…っ。
映画作品に対する印象がガラっと変わりました。
これが分かったおかげで、ほかの諸々も全部繋がった気がします。
私は原作P308にあった

「エリオ」僕がそう言ったのは、電話に出ているのが僕であることを示すためであると同時に、昔のゲームを持ち出してなにも忘れていないことを告げるためでもあった。「オリバーだよ」彼は言った。彼は忘れてしまったらしい。

これは「事実」ではなくて、エリオの憶測と解釈するところだったんですね…。
オリヴァーの背後には妻子がいる、だから今は「オリヴァー」でしかいられないことを告げるものの、そのすぐあとに「ここ(エリオの家)に来られて僕がどんなに喜んでいるか君には分からないよ」と「覚え続けていること」を伝えたのだと言うことにもやっと気付けました!
ということで、ここ以降は「分かってない」ときの感想なので、作品をきちんと咀嚼できていない感想になっていますが、「オリヴァー酷い」が完全に消え去りました。笑
追記・ここまで

 

この読み落としと解釈の間違い、そしてもう1つ思い出したのですが、映画のラストシーンで、家政婦さんから「エリオ」と呼ばれて振り返ったのは、2回目に強く呼ばれたときで、最初に「エリオ」と呼ばれたときは、自分が呼ばれたのではないという感じで、ずっと暖炉の火を見つめていたんですよね…。

そんなわけで、隙間時間ではなくがっつり時間を確保して再読したところ、さらりと書かれているそこかしこに読み落としや解釈違いがあり、自分が集中して読めていないから読み解けないでいたのだと痛感させられました。

初読の感想
ゲイとしての葛藤がメインではないものの、それは少なからずあったのでは、というのが私の印象で(この辺りが町山さんのレビューと違うので、自分の未熟さや経験値の浅さを痛感しました)、だけどそれ以上に大きかったのは、距離とか立場とかひょっとすると民族や宗教とか、今ほど「4つの性」に対する認識がなかった時代ということも影響していたりなど、島国で育って海外の文化に対する知識が乏しい(関心を寄せるだけの意欲がなかった自業自得ですが)私には計り知れない、いろんな面での葛藤があったんじゃないか、と。

ゲイとしての葛藤が少なからずあったのでは、という部分は変わらずといったところですが、確かに読み方によっては、性自認を超越した「初めての経験=未知に対する恐怖」という印象のほうが強いかもしれません。

初読の感想
期間限定の切ない恋に対して、エリオは精いっぱいその時間を大事にしたくて、オリヴァーは「パラレル」でしかないその時間やエリオの人生を自分のエゴの犠牲にしてはいけないと自分を律してはそれを崩しそうになったり、最後には崩してしまったり、でも別れ際には中途半端に理性を振り絞ってフレンドリーなハグで別れたりとか、思春期の少年には残酷な仕打ちだけど恨めない、という切ないお話(後略)

この初読の感想についても、訂正です。
「昏睡」と「パラレル」を彼らの想いの深さの違いと読み違えていましたが、まったくそんなことはありませんでした。
前述した追記部分のP308の下りには続きがあって、オリヴァーが
「ここ(エリオの家)に来られて僕がどんなに喜んでいるか君には分からないよ」
と言ってエリオの母親と電話口を替わったとき、彼女はエリオと話す前にオリヴァーに声を掛け、そのあとエリオに
「彼(オリヴァー)は感極まっているのよ」
と語ります。
ここをさらりと読み流してしまっていた初読ですが、ここ、本当は2人の関係を知っているエリオの母親が、オリヴァーに声を掛けずにいられないくらい、彼がエリオの言葉=自分の気持ちが伝わっていないことに打ちのめされているシーンだったのですね…。
エリオの中でオリヴァーが「過去の人」になっているのに対し、オリヴァーの中では「現在進行形の人」だったんだな、というのは、15年後の再会のシーンでも現れていたのに、読み流していてまったく気付けていませんでした。
オリヴァーが「パラレル」と表現したのは、素の自分でいられるが現実に阻まれているために日常にはできない逃げ場所という意味ではなく、言葉のまま、「パラレル」=平行世界、もう一つの現実だったんですね…。
エリオが「昏睡」と称したネガティブであり、その間オリヴァーをクローゼットの奥深くに隠しては時折取り出して、という「別々の存在」にしていたのに対し、オリヴァーは常に「僕は君」と思いながら生きていたのだと、再読でようやく理解しました(遅い)
映画でカットされていた15年後には『ゴーストスポット』というサブタイトルがついていました。
さらっと次のページをめくってしまったのですが、これも重要だったんだと気付きました。
トマトのカビ病?はさすがにないから、心霊スポットか、と思ってさらっと…(言い訳でしかないのですが)
ghostには「魂」という意味もありましたね(と、攻殻機動隊における少佐の言葉「私の中のゴーストが囁く」で思い出した次第)
15年後のエピソードは、オリヴァーにとっての「魂の拠り所」というサブタイトルだったということなんですね。
映画を観る前に読了しなければ、と焦って隙間時間に細切れに読んだ初読の読み方の乱暴さに後悔頻りです…もっと丁寧に読んで初読でしか味わえない感動を味わいたかったです。

映画の感想蛇足部分は、最初に記事を書いたときと同じなので、そのままに。笑

1.ハマー氏のダンスがオヤジ感出てるって言わないでやってください町山さん(笑)
 多分あの時代を反映したダンスだったんです。
 ちょっと体格がいいからオヤジに見えちゃうだけかもです。笑
 ヘテロ男性から見たからというのもあると思うのです。笑

2.思っていたより「尻放題」ではありません、水着放題ですが。

3.エリオのガールフレンド、マルティアがめちゃくちゃ可愛い。
 お母さんも美人でしたし、女性もステキな役者さんばかり。

4.エリオとオリヴァー、ともにメチャクチャ賢いので、原作で何度も読み返して頭に叩き込まないと何を言っているのか分からない感じの高尚なやり取りで、それが2人の駆け引きで楽しみなので、私のような凡人には映画で観ているだけだと不思議な光景にしか見えていなかったかも…と思う2人の会話に終始している。

蛇足4が長い…読みづらくてすみません。

読む人・観る人を選ぶと思いますが、私はこのごろ「4つの性」というものに対して、「パーテーションではなくグラデーションなのでは…?」と思うことが多いので、それを可視化させてくれているようなお話で好きでした。
これは、映画・原作ともにです。
そして映画でしか成し得なかったのは、あの壮大で厳格な自然の光景の素晴らしさ。
これは、どれだけ原作で文章にしても、読み手に知識がなければ受け取れないと思う部分という気がします。
私は登山大好きだったので、匂いまで思い出せてものすごく感動していましたが、海の傍で暮らす経験がないにも関わらず、遺跡の発見シーンなどもすごく感動させてもらいました。
逆に文章でないと映像だけでは何ともしがたい部分は、やはりエリオの心情で、私のように鑑賞したものを深く掘り下げられない人間だと、ティモシー・シャラメ演じるエリオの「声なき感情」の表現を受け取れ切れない、という意味で原作読了先行でよかったな、と思いました。
その点に関連して、原作ではエリオ視点なので、オリヴァーの真意が分からない部分が多々あったのですが(前述した読み違いや読み落としなどで)、映像というのはそれぞれの役者がその人物になり切るため、アーミー・ハマー氏のオリヴァーの表情や声音は「エリオの勘違いによる憶測」ではなく、オリヴァー自身の言動なので、彼の躊躇や葛藤がダイレクトに伝わってくるため、映像にするって素晴らしい、と今ごろ改めて思ってしまいました。
だからこそ、理解できていなかったとき、「あそこまでエリオに本心を伝えていたくせに、結局ひと夏の恋で済ませるのか、酷い」と誤解したわけですが。(笑えない…)

切なくて、私には「甘酸っぱい」とは表現できない、ほろ苦い恋物語でした。
ほろ苦いのに癖になるというか、やめられない味、という表現がよいのかもしれません。
苦しい思いが大半だと分かっているのに手放せないというエリオとオリヴァーの純愛物語です。
遅ればせながらでも、ちゃんと読むことができてよかったです。
ほかの方々の感想のおかげで咀嚼できたので、感想ブログなどがもっと増えて、取り扱うジャンルも幅広くなってくれるといいいな、と切実に思います。