本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【19.08.04.】『華氏451度』感想

 

華氏451度〔新訳版〕

華氏451度〔新訳版〕

あらすじ:
華氏451度──この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。
451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。
モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)のひとりだった。
だがある晩、風変わりな少女とであってから、彼の人生は劇的に変わってゆく……本が忌むべき禁制品となった未来を舞台に、SF界きっての抒情詩人が現代文明を鋭く風刺した不朽の名作、新訳で登場!
amazon.co.jp「内容紹介」より)

 

【ここから感想です】

 

本作は2018年に映像化もされた有名な作品ですが、観たいと思いつつ旬を逃してそのまま失念していた作品です(健忘&多忙ツライ)

今になって「あっ、そうだ!」と思い出したきっかけは、早川書房さんのtwitter公式アカウントで高橋源一郎さんが作品についてのコラムを書かれているとアナウンスしていたことと、高橋先生の感想を読んで「これは読むべき!というか読みたい!」となって、図書館へ急いで借りに行った次第です。
高橋先生の感想も是非合わせてごらんください(太字部分にリンクを張っています。)

この作品が書かれたのは、アメリカでマッカーシズム真っ只中という状況下だったそうです。
私もざっくりとしか分かっていないマッカーシズムなのですが、ものすごく乱暴に端折って言えば、およそ70年前からあからさまに顕在化した反共産主義者による、共産主義と思われるマスメディアや映画等を悪書として弾圧する社会運動…だと、思います…この認識の正しさに自信はなしです。汗

あらすじにあるとおり、内容は、思想や葛藤、憂慮を誘引する書物を禁書とし、それの所持は国家反逆罪とされる世界の物語です。

主人公のモンターグが誇りに思ってすらいた職業は、昇火士(ファイアマン)。
消火ではなく、火をつけて悪書を灰にする=昇華する仕事、ということなのでしょう。
訳者の造語だそうです。
一部について放火を善行とし、ポジティブに捉えている世界が、この職業名だけで読み手に知らしめてきます。
訳者も、「焚書」は読む側にネガティブな印象を与えるので、敢えて言葉を作った、というようなことを巻末で述べられていました。

本文へ入る前に、1ページをまるっと使って、スペインの詩人ファン・ラモン・ヒメネスの詩の一節が書かれています。

If they give you ruled paper, write on the other side.

今現在、本を返却してしまったので、上記の原文はネットから拾ってきたのですが、もし微差があったらすみません…。
この原文があり、その和訳として、
「もし彼らがあなたに罫紙を与えるならば、反対側に書きなさい」
と記されていました。
そして、訳者のあとがきに、
「もし彼らがあなたにルールを押し付けるならば、抗いなさい」
というダブルミーニングだったのではないか、という考察が記されていました。
まだ旧訳版を読んでいないので比較のしようがないのですが、ruled paperを「罫紙」を表向きの表現として、「ルール」という裏読みをさせるセンスは、訳者が気付いてくれなければ私のような英語無知な人間には意味不明な冒頭の詩になってしまっているところでした。
意味不明ゆえにさらりと読み流し、本文を読んで、訳者のあとがきでダブルミーニングの下りを読んで「ああ!」と、いろいろな考えや思いが一気に溢れた感覚になりました。

感想らしい感想が書けないのは素人ゆえ、先に高橋先生の感想を読んでいたので、これがすべて、ということしか書けなくてなんですが、是非リンク先のコラムを読んでいただければ、と。

半世紀以上も前に、現代を予見したかのような物語です。
禁書とか焚書とか、この作品では、政府などからの押し付けでそうなったわけではない、というのが衝撃的です。
そして、現代との嫌な符合にも衝撃を受けました。
今現在、出版業界は四面楚歌もいいところで、とにかく売り上げがなければ次の本が出せない、ということで、とにかく読みやすさや面白さ、簡単さ、ゴシップ的な内容とか、マスメディアも視聴率優先で、受け手が「刹那的に快を覚える」「次々と消火されていくだけ」で「その向こうにある背景に必ず存在するであろう昏い部分やネガティブな部分」を受け手に意識させない形で次々と矢継ぎ早に送り込んできていますよね。

それは、受け手がそれを求めるから。
需要と供給がかみ合っているから。

作中では、モンターグの妻が壁の映像にドはまりしている様子が散見されます。
家に何百万と投資して、リビングの三面に「両親」や「伯父伯母」を映し出してプログラムによるものなのでしょう(私の憶測)、彼らとの会話を楽しむあまり、世の中のことや自分の本当に求めるものがなんなのか、ということなどに無関心な奥さんです。
モンターグもまた、誇れる仕事、昇火士の仕事に邁進しており、出動要請はひっきりなし、詰め所にいれば通報が入り、すぐ出動、書物を持っている人間は、通常なら先に警察がしょっ引いていき、そのあとで昇火士が家ごと書物をすべて焼き尽くすんです。
本文冒頭では、モンターグが狂気に満ちた笑みを浮かべて焚書に熱狂する様子が描かれています。
そんな二人は、どういうふうに自分たちが出逢って結婚に至ったのかをすっかり忘れていました。
たった10年前のことなのに。
モンターグはそのとき、とある出来事から今の「幸せ」に違和感を覚え始めていたので、その事実に驚愕します。
だけど妻は「そんなことどうだっていいじゃない。それよりも」と、ダイジェスト化されてすっかり薄っぺらな内容になった戯曲の台本が手に入った、と嬉々として話題を変えてしまいます。
そしてこの奥さん、不眠で睡眠導入剤を常用しているっぽいのですが(安定剤だったかな?)、自分がいつ何錠飲んだのか覚えていませんし、ODした記憶もないんです。
自分にとって憂うこと、ネガティブな感情になること、そういった類を全部無意識のうちに遮断してしまうんです。
周囲の人も、大半がこんな感じで、深く考えることは憂いを生む、憂いは不満や怒りに変わる悪感情、みたいな世界観なんですね。
そういった感情を抱かせないために、メディアは次々と「情報」を送りつける。
嬉々としてそれに飛びつくも、人々はどこかで鬱屈したものを貯めていくので、それらを解消するために、ロードバイクで暴走して通行人にけがをさせたり、高速で車を飛ばし合ってというチキンレースをしたり、その刹那的な感情を持つことで、くすぶっている「深慮」を吹き飛ばしてしまうのが普通、という世界なんです、読んでいて怖かった…。
メディアの垂れ流す情報に右往左往してネットで大騒ぎする人たちと、この世界の「一般的」な人たちの姿が妙に重なったので、怖かったです…。
この世界の人たちは、自国が他国に恨まれていることを「どこか遠くの出来事」として漠然と知っているだけで、「だからなに?」という感覚なんです。
得意げに「子どもを産まないと子孫が繁栄しないから。でも、子どもなんて週末だけ我慢すれば、あとはスクールの放り込んでおけばいいんだもの」とのたまう奥さんのお友だち、「ダンナが出兵したけれど、お友だちのダンナさまは半月くらいで、まあ怪我はしてきたけれど帰ってきているから、家のダンナも大丈夫」と、戦地がどういうところか知ろうともしない奥さんのお友だち、などなど、「自分に降りかかる災難ではないはず」という根拠のない自信が、旬の話題に飛びついて土足で該当者のプライバシーにまで踏み込んでいくマスコミの一部や、それに群がる受信側の人たちを彷彿とさせました。
で、この奥さん方は、最後の最後まで、戦争が勃発したことを「情報として」知ってはいても、実感してないんですよね…。
戦争勃発より、自分の夫(モンターグ)が書物を持っていたことのほうが大事件で、さっさとダンナさんを見限り、夫を通報して自分が家出します、うわぁ…と思っちゃいました。

モンターグが意識をかえたきっかけは、あらすじにある通り、1人の少女との会話にあるのですが、私から見れば(おそらく読者の大半から見れば)普通の温かな会話です。
だけど、そういうことに関心を寄せる少女のことを、周囲の人たちは「精神異常」と言って、彼女は定期的に精神科を受診しています。
彼女はただ、月を見上げて「あの中に人がいるのよ」とか、「たんぽぽの花で顎をくすぐって、顎に花粉がつけば、恋をしているしるしだそうよ」とか、ロマンティックで10代の乙女らしい可愛い想像や妄想、おとぎ話や心の豊かさや心の自由さを感じさせてくれる、普通の女の子なんですけどね…この世界では、そうじゃないらしい、というのがとても悲しかったです。
正しいこと、不可逆的なこと、ひとつしか正しい答えがない事象のみが尊重される世界。
多様性を認めない世界。
表現や世界観が違っても、まるで現代社会の鏡のようで、その結末を読んだら、やっぱり怖くなりました。
現実世界も、こういうことになってしまうんだろうか、みたいな…。

この物語は、モンターグがどんな結論を出したかとか、そういうのは読者に委ねている、ってことなんだろか…と、物語を咀嚼できてないので、読後感としては、
「理性では妻も少女も生きてはいないと分かっているけれど、信じたくないんだよね。で、あなたはこれからどうするんですか?時代に流されるだけなんですか?」
と、迷ったままに見えるモンターグのその後が気になる終わり方でした。
多分、モンターグは「読み手」なのではないかな、というのが今のところの解釈です。
ああ、これ頓珍漢な感想だったら恥ずかしい…のですが、借りものだったので慌てて読んだんです。
また旧訳版を借りるつもりなので、読み比べも兼ねて、少しでも原文で読者に伝えたかったことをちゃんと読み取りたいなあ、と思います。