本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【18.06.10.】新潮版『ジェーン・エア』ざっくり感想

 

あらすじ
孤児として、伯母に育てられたジェーンは、虐待され、ローウッド寄宿学校にいれられる。そこで八年を過した後、広告を出し家庭教師として赴いた先に居たのは子供と家政婦だけだった。散歩の途中助けた人物こそ、屋敷の主人ロチェスターであると知ったジェーンは、彼と名門の貴婦人とのロマンスを聞き、胸が騒ぐ。孤独と戦いながらも不屈の精神で生きぬく女性を描いた青春文学。

 

ジェーン・エア(下) (新潮文庫)

ジェーン・エア(下) (新潮文庫)

 

あらすじ:
ロチェスター氏との結婚式の日、式場では意外な真実が暴露される。不気味な女の哄笑、引き裂かれたベール……。狂った彼の妻の仕業だった。屋敷を逃げだし荒野をさ迷うジェーンは牧師の家族に救われるが、ある晩、闇の中から彼の呼ぶ声を聞く。その声に導かれて戻ったジェーンは、失明し不自由な身となった彼と再会し、結ばれる。女性のひたむきな情熱をあざやかに描いた自伝的作品。


【ここから感想です】

 

1冊当たり400P超えの大長編。
日常の雑多な所用や体調不良もあり、通算1ヶ月も図書館から借りっぱなしになってしまいました…。
ネットでの延長貸し出し申請…便利…ありがたい…。
ちょうど図書館の書庫整理があり、通常2週間しか借りられないところ、延長時は3週間借りられることになり、合計5週間借りていられました。
マイナーな本でよかった…次の予約が入っている場合は延長できません。

それでも慌てて読みになってしまったのは、ひとえに自分の読書スキルの乏しさゆえです。
現代文芸やラノベが、如何に短文(1行内外。文字数にして50文字以内)でワンセンテンスをまとめているかというのを目の当たりにした作品でした。
この作品、初版が1953年(昭和28年、今から65年前)の作品です。
もちろん訳者の書き癖という部分もあるのでしょうが、句点がつくまでの1センテンスが長い、読点がメチャクチャ多い、と読みづらさが半端なかったです。
でもこれは作者や訳者の文章が悪文ではない、と断言してきます。
自分の理解力が下がったのでは、と不安になって、家にある文豪の本をめくってみたのです。
太宰や芥川作品や、小泉八雲の『階段』とか、その辺り。
あ…自分が昔すらすら読めていたものが読めなくなっている、これが…と確認したので泣きたくなりました…。

長い前置きをいい加減に切り上げて、『ジェーン・エア』のお話ですが、この作品を紹介して下さった方から、
「ハーレクインのような内容から、ドギツイ濡れ場描写と、美男美女というお約束の設定を抜いた感じの作品」
という表現で紹介していただいたんですね。
読了後、読む人によって印象が違うものだと改めて感じた次第です。
読む人がどこに関心を寄せるかで、紹介の仕方も変わるのだなあ、と思いました。
私がハーレクイン文庫を読みつけていないこともあるのですが、どちらかと言えば少女小説から美男侍女設定を抜いた感じ。
そして、恋愛小説というよりも、恋愛要素をふんだんに盛り込んだ自叙伝であり、その時代をものすごく反映させた社会小説の面もあり、といった印象です。

主人公、ジェーン・エアは、美人ではなく、それゆえにという部分もあって、不遇な待遇を受けることが多々あり。
幼少期の伯母や従兄姉たちからの虐待理由は、亡くなった伯父(伯母の夫)が、妻よりも妹であるジェーンの母親を大切にしていたから、という嫉妬心からの憎悪だと私は解釈したのですが、美醜や「女性とはこうあるべき」の押し付け内容が、現代とは比較にならないくらい尊重されていて、今を生きる私にはジェーンの考えや自尊感情が当たり前の権利にしか思えなかっただけに、くどくどと語られる「淑女のあるべき」云々に辟易とさせられる世界でもありました。
この時代、どうやら女性からの求婚はもってのほか(それはまあ、分かる)、求婚された場合も、一度や二度の求婚で応じるのは破廉恥と見做されるそうでビックリです。
夫に従順であることが当然で、自分の意見を持つのもはしたないこと。
そんな世界で、ジェーンが「私は私のものである」と明言することが、どれだけ勇気のいることか、どれほど奇異な目で見られてくじけそうになっただろうかと思うと、そういった先人がいるからこそ、今があるのだと感謝せずにはおれませんでした。
ジェーン・エア』はもちろん創作ですが、作者のシャーロット・ブロンテの経験をふんだんに活かされた物語でもあるらしいです。
なので、社会背景の記述については、実社会を反映させた価値観や社会通念を取り入れていると解釈して読んだので、こんな感想になりました。

あと、キリスト教における結婚では、宣誓のときに
「富めるときも、病めるときも(中略)これを愛し、敬い(また中略)誓いますか?」
と牧師さんが尋ねるではありませんか(今でも)。
結婚の根幹に、「愛する相手である」という前提があるのに、ジェーンを妻にしたいと述べたジョン・エア氏の理由が、ジェーンを1人の女性として愛しているからではなく、「神のご意思を伝導する同胞として相応しい性質と信仰心だから」という、それ、ジョン兄さん、愛情とちゃいまっせ、というツッコミが止まりませんでした…そこまで神に心酔している牧師ならば、まず愛せよとツッコミたい。

その点、ジェーンの永遠の想い人であるロチェスター氏は1本筋の通った漢で好感が持てました。
強引で気分屋で、当時の時代背景として仕方ないのではありましょうが、女性は男性の言うことに従って当然という考えがムッとしたのではありますが、そんなロチェスター氏にも、愛情から妥協することもなく、強い命令に怯むこともなく、ロチェスター氏に反駁するジェーンです。
そんなジェーンの反駁を、むかつきつつも「面白い女性だ」と次第に好意を増していくロチェスター氏は、本人個人の気質としては男尊女卑を盲目的に受け入れているわけではないと感じさせたから好感が持てたのかもしれません。

文章に読み慣れてきたら、面白く読めた作品でした。
映画化されていて、今はhuluで鑑賞できるようなので(ネトフリかも?)見比べてみようと思います。