本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【20.10.07.】『Missing2 呪いの物語』感想

 

Missing2 呪いの物語 (メディアワークス文庫)
あらすじ:
木戸野亜紀の部屋に送られてきた一枚のファックス。
奇怪な文字と紋様で埋め尽くされたそれは、実はとんでもない代物だった。
亜紀の周囲で次々と起こる異変。
混乱する亜紀を救うため“魔王陛下”こと空目恭一が動き始めるが…!
人気の現代ファンタジーシリーズ第2弾。

シリーズ1作目『Missing 神隠しの物語』感想はコチラ

 

【ここから感想です】

 

若い世代の人から見たFAXという、著者さんと同世代に私にしてみれば黒電話に近いアイテムがキーアイテムとなって展開されるお話。
電撃文庫版では2001年に発行、この時代ではまだFAXが主流だった最後のころではないでしょうか。
電撃文庫版ではどういう位置付けで『呪いのFAX』が描かれていたのか気になるところです。

あらすじにある木戸野亜紀は、1作目で空目失踪時に彼を探すために奔走していた友人の1人。
本作では、彼女が(正確には彼女の血筋が)発端となって起こる超常現象を鎮めるために、空目を始めとした文芸部の面々が奔走するお話になっています。

前作がシリーズ序章と位置付けるのであれば、今作からいよいよ現世と異界の狭間から顔を覗かせる『あちらの世界』のあれこれが『こちら側』を侵食しようとしては防ぐ、という展開になっていく感じです。
その「切欠」が、今回は亜紀の持つ「血筋」「家系」。
本作では、これを『共同幻想』という位置付けを断言してくるとある人物(ネタバレ防止)の概念に気持ちを持っていかれました。
心理学(?)的に言うところの『集合的無意識』なのかな、と思いながら読みましたが、個としての本人が意識や自覚を持っているかどうかに関わらず内在する概念、と言えばいいのか分かりませんが、例えば、身近にある事例として、
・父(母)親譲りの性格(など)
・性善(悪)説
・血は水より濃い(諺)
など、個人では抗えないと思い込んでいる概念。
それに屈しそうになる亜紀の、個を取り戻す物語とも言えるのかもしれません。
亜紀自身が止められない呪いの暴走を、亜紀は大切な友人たちや家族などを守るため、自己犠牲的な選択をします(具体的なあれこれは作品で!)
そこが亜紀らしいと言えば亜紀らしいものの、そして大半の人が(少なくても私は)似た洗濯をするだろうなあ、と思うのですけど、その選択を止めに来た空目の返しがなんとも…。

「その程度の(自分が友人を殺すかもしれない)事が、自分を殺すほどの理由になるのか?」
「それが普通の人間とどう違うのか、俺には理解できない」

ここだけ抜粋すると、空目くんがかなり「ヤバイ奴(怯)」となるのですが、そこから続く亜紀の自滅を止めるための彼の概念(というより素のままの空目くんの基本概念だと思われる。笑)は、読んでいるこちらをハッとさせます。
なんと述べているかは、是非作品で!
共同幻想』と『個の概念』、どちらも諸刃の剣で、実は私たちは毎日綱渡りをして日々生きているのだと気付かされた空目くんの持論でした。
同時に、「それが共同幻想だろうと、自分の意思であり意志であろうと、そのように生きていく」と、選んだのは自分であると責任を持って日々を過ごしていこう、と身の引き締まる思いをさせられる終盤の空目くんと亜紀のやり取りでした。

蛇足ですが。
食前食後に読み始めると、ちょっとキツい描写が多いです(苦笑)
個人差があるかとは思いますが…蛆がワチャワチャ涌いていたり、腐臭で鼻が曲がりそうになったり、という実体験があると、それを思い出させられてキツかったです。