本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【20.10.31.】『滅びの前のシャングリラ』感想

 

滅びの前のシャングリラ (単行本)

滅びの前のシャングリラ (単行本)

  • 作者:凪良 ゆう
  • 発売日: 2020/10/07
  • メディア: 単行本
あらすじ:
「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」
学校でいじめを受ける友樹、人を殺したヤクザの信士、恋人から逃げ出した静香。
そして―荒廃していく世界の中で、四人は生きる意味を、いまわのきわまでに見つけられるのか。
圧巻のラストに息を呑む。滅び行く運命の中で、幸せについて問う傑作。

 

【ここから感想です】

 

あらすじを見て思い出したのが、新井素子さんの『ひとめあなたに…』という作品。
「1週間後、地球に隕石が衝突し、人類に逃げ延びる道はない」
という設定が本作と酷似しているから思い出したのでしょう。
新井素子さんの作品は、恋愛を主軸とした愛憎や狂気、親に「あなたのため」と言われて好きなことを我慢した挙句の人類滅亡に爆発する娘など、若い層の心情を反映させた作品という印象が残っています。
(思春期の初めに読んだ本なのでうろ覚えの部分が多々ありますが…よく覚えているほうだと…そのくらい好きなお話でした)

それに対し、この作品では読者層を選ばない幅広い層の人物たちが、それぞれの経験や重ねてきた歳月の果てに出した「最期の迎え方」をする物語でした。
ついつい『ひとめあなたに…』と比較した読み方になってしまいましたが、まず印象に残ったのは、歳月の流れによる人の描き方の違い、如いては私の思春期前半時代の人たちと今を生きる人たちの価値観や概念、倫理観の違いをものすごく感じる作品でした。

とにかく、倫理観や理性の崩壊していく様が生々しい。
もちろん、『ひとめあなたに…』を読んだときもそう感じたのですが、今読み返すと、おそらく当時ほどのリアル感を感じることができない気がします。
それくらい、個人が権利を強く主張する/できる時代に変わったのだと感じさせる描写の違いでした。

改めて“シャングリラ”の意味を確認。
読了後に、このタイトルのすばらしさを感じさせます。
シャングリラとは理想郷という意味だそうです。
ちなみにサブタイトルは、
『シャングリラ』=友樹視点
パーフェクトワールド』=信士(友樹の父親)
『エルドラド』=静香(友樹の母親)
『いまわのきわ』=路子(歌姫。雪絵の好きなアーティスト)
初回限定版特典小冊子『イスパハン』=雪絵(友樹の初恋の女の子)
江那親子(友樹とその両親)視点のサブタイトルはどれも「理想郷」の意味。
『いまわのきわ』は、言わずもがなですが「臨終、最期の時」の意味。
『イスパハン』は、全世界の半分の広さの領土を持つほど栄えていたイランを昔はそう称していた、とのことです。
各々が『1ヶ月後の最期』を迎えるに当たり、江那親子は日常の中で無意識/意識して渇望していた理想の在りようを見いだします。
だから、「理想郷」。
友樹の恋心ゆえの行動が雪絵と共に最期を迎えるに至り、その雪絵が最期に求めたのが、歌姫の地位を脅かされていると感じていた路子=Locoのライブを見に行く、という物語に繋がっていきます。
その路子が、本人の意図せぬところで江那親子や雪絵、そして作中では語られることのなかった多くの彼女のファンの『いまわのきわ』を満ち足りたものにしていく、というラストの運びまで、一気に読みふけってしまいました。
そして特典の小冊子では、『半分』がテーマ。
視点は雪絵で、雪絵の物語ではあるのですが、本編を読んだあとに読むので、結局は主要人物のすべてに通じるお話でもあった気がします。

人は、矛盾した生きもので、醜悪な一面と、慎ましくささやかな幸福で満たされる清らかな一面を同時に併せ持つことができる存在、と感じさせるお話でもあり、誰かにとっての「鬼畜外道」は、誰かにとっての「かけがえのない大切な誰か」でもある、という二面性。
滅びの前に法律や倫理観など無力で無意味。
そう思わせる一方で、それでも人はひとりでは生きていけず、誰かと寄り添って生きていきたい存在でもある、という切なさを感じるお話でもありました。

どうせ1ヶ月後には死ぬ。
これを、どう捉えるのか。
その上で、自分がどう「生きたい」のか。
どんな人間にも、死だけは等しく公平に、確実にやってくる。
日常では意識しているようで意識できていないこれを、読者に無理やり向き合わせて考えさせる作品でした。

モブのみなさんが自暴自棄になったり、それでも大切な息子の帰りを切実な思いで待っていたり、老いに耐えかねて店じまいしようと思っていたけれど、あと1ヶ月なら少しでも誰かの腹を満たしていこうかとやる気が出たり…モブの人たちの行動ひとつひとつにもいろいろ感じさせてもらう作品です。

あと1ヶ月で死ぬ。

友樹は絶望の日常から、自分を虐めて来た連中、傍観者を決め込んでいた連中がパニック状態になっていくのを嘲笑し、愉快とさえ思う。
そのあとに、大切な母親や大好きな雪絵も死んでしまうことに思い至ったときの恐怖の反動、そこから「どう残りを生きるか」を決めて行動するに至るまでの成長過程は、つい親目線で呼んでしまいました。

それを見守る母親の静香にもっとも感情移入してしまいました。
ひとりで、息子の成長だけを楽しみに、支えに、ここまで踏ん張ってきたのに、たった17年で終わってしまうなんて。
今までの人生はなんだったんだ。
ひょっとして、自分のトラウマが息子から父親を、元恋人から息子を奪っただけなのではないか、という後悔。
そこから元恋人であり息子の父親である信士と友樹が、もどかしいくらい不器用ながらも父子として距離を縮めていく様子を見るに従って増していく幸福感…泣けました…。

信士は…不器用で人にいいように利用され、自分の学のなさや性質の粗忽さに劣等感を抱いているのですが、そのキャラクターが亡父を思い出させて(いえ、亡父はスジモノではないのですが。汗)、ちょっと…言葉に置き換えられない思いで彼の視点を読んでしまいました…個人的な意味で泣けてしまった…。

Locoとして生きることによって、自分が何者か分からなくなっていき、自分がどうして歌っているのか見えなくなってしまっていた路子は、最も多くの人がどことなく共感を覚える主要人物なのではないか、と勝手に妄想が膨らみました。
歌姫、トップアーティストとして読むとそう感じないのかもしれませんが、みんな何かしらのペルソナを被って日常をやり過ごしているのが、今の人たちではないか、と。
そして自分がどうしたいのか、どうありたいのか見えなくてもがいているような気がします。
そんな現実に多くいる人たちを投影したのが路子のように見えました。
路子は最期の最期に自分を取り戻します。
常に人からどう見られるかを意識し続けてきた彼女は、最期にようやく自分を取り戻し、「誰かに」ではなく「自分に」ありのままの自分を受け容れてもらえる。
その瞬間、地平に光が降る。
次々と降り注いでくる光がまばゆく見える。
「令和最後の歌姫」
路子自身がそんな自分を認識した瞬間が、彼女の夢の叶うとき――というのが、切なくも、なぜかどこか希望を感じさせるエンドマークになっていました。

全員、誰かを殺したか殺意を持って何かをやらかしている人物たちです。
だけど、とても心優しく不器用な人たちばかり。
人を簡単に善悪でジャッジできやしないのだと痛感させられる作品でした。
そして、「今日」という日は二度と来ないのだということも。
二度と来ない今日を精いっぱい生きないと、精いっぱい生きていてさえ後悔が拭えないのだから、と背筋を正したくなるお話でもありました。

決して、そんな押しつけがましいお話ではないのですが、読む側が勝手にそう感じてしまう強い何かを感じる作品でした。

初版特典小冊子は、どこにも収録されないとのこと。
読めて本当によかったです。
雪絵の「半分」の話が本編の集大成と感じる小咄だったので、初版で買えて本当によかった…。
そんな盛だくさんのお話でした。