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自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【18.04.24.】『8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら』感想

 

8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら

8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら

 

あらすじ:
結婚式を3ヵ月後に控えた尚志と麻衣。
幸せな二人を襲ったのは、麻衣の原因不明の病だった―。
心肺停止、長い昏睡状態。6年をかけて徐々に意識を取り戻した麻衣は当初、目の前にいる男性が結婚を約束した相手だと気づくことができずにいる。
麻衣の身に起こった奇跡、そしてその回復を信じ、支え続けた尚志の献身的な純愛。
家族、命、愛の意味を教えてくれる、実際に起きた感動の物語。
(「BOOK」データベースより)


【奇跡の実話が映画化】8年越しの結婚式~アーヴェリール迎賓館 岡山(T&G)

【ここから感想です】

 

このドキュメントを知ったのは、ネットのニュースからでした。
中原尚志さん麻衣さんご夫妻のお子さんが誕生されたあとのインタビュー記事も拝見しました。
初めてこの出来事をしったときに自叙伝も出版されたと知り、電子で購入したものの、積読が多過ぎて今ごろ読了。
記事の冒頭の表紙がリンク先と違うのは電子版の購入だからでした。

記事を書こうと思ってamazonさんのデータベースを見たのですが、もっと読みたいと感じさせてくれる、書籍のあらすじに代わるものがないかと探したところ、中原さんご夫妻が挙式されたアーヴェリール迎賓館の動画を見つけたのでリンクを張りましたが、読了後にこの動画を観た私は、結局もらい泣き号泣をしてしまい、読了してから時間を置いて今テキストエディタを開いた状態です。

書籍は、以下のような構成で、尚志さんと麻衣さん、そして手紙の章ではそれぞれの親御さんの言葉で、飾らずありのままの気持ちが綴られていました。

・麻衣さんの章:結婚式当日の麻衣さんとお母さんの会話)
・尚志さんの章:麻衣さんが心肺停止を知らされた時の状況や尚志さんの気持ち
・麻衣さんの章:2人の出会いから自分の体調がおかしいと感じたころまでの状況
・尚志さんの章:麻衣さんの様子がおかしくなってからご自身と麻衣さんのご両親の行動や想い
・尚志さんの章:麻衣さんの病名が判明し手術、目覚めてからの出来事や見守るみんなの想い
・麻衣さんの章:一度消えてしまっていた記憶を取り戻してからの想い
・御家族の章:麻衣さんから尚志さんやご両親への手紙や、ご両親から2人への手紙など

コミカライズや実写化など、いろんな表現でこの出来事が伝えられているようですが、私は中原さんご夫妻自身の、ありのままの言葉で綴られた書籍でこの出来事を知ることができてよかったと思います。
小説を読んでいると、つい文法が気になったりするのですが(私だけかも)、「小説」の表記として間違っていたり、文法がちょっとおかしいかも?と思う部分が、却ってご本人たちの肉声に聞こえ、ありのままの気持ちを文字に置き換えているのだと感じられるものでした。
読了後に上記の動画を観ると、中原さんご夫妻の綴られていた文章一つ一つが思い出されて、涙なしでは見るころができないくらいでした。
書籍では尚志さんの心の揺れ(麻衣さんは戻ってくるのだろうか、本当に医者は麻衣さんを助けようとしているのだろうか、それともモルモット扱いなのかという不安など)、麻衣さんのご両親の胸の裂けそうな想いが綴られており、この動画からは想像もつかないネガティブな想いや言葉も隠すことなく書かれています。
だからこそ、この穏やかな声から、乗り越えてきたことの大きさがこちらにも強く伝わってきますし、お母様の「頑張ったね」に思わず号泣してしまう麻衣さんの想いももらい泣きしてしまうくらいに伝わってきました。

そして、私はこの動画を観ることで、初めてウェディングプランナーの久保田さんが、仕事という概念を超えて中原​さんご夫妻を支えてくださっていたことを実感しました。
中原​さんご夫妻がどれだけ久保田さんに感謝しているかももちろん綴られているのですが、私自身が経験不足でウェディングプランナーさんと接する機会がなかったので、実感として久保田さんを始めとしたスタッフの方々の貢献が書籍から分かることができなかったのです。
久保田さんの仕事に対する誇りや使命感から、個人として心から中原さん夫ご妻の晴れの日を我がことのように寿ぐ気持ちを堪えるかのように語る嗚咽混じりの言葉で、久保田さんもどれだけ案じ、応援し、尚志さんと麻衣さんを支えてきた多くの人たちに対する2人の感謝の気持ちを伝える挙式にしようと腐心されたのか、動画を観てようやく分かりました。
それを知る人がそうしたくなるほど、壮絶な8年間が綴られている1冊でした。
尚志さんの一途さ、なんて簡単な言葉では済まされないほどの想いを感じました。
彼は、ある意味「自分のため」に麻衣さんを支え続けておられたのだと感じました。
尚志さんの綴る文章には、一切「○○してあげた」という表現が出て来ません。
当たり前のこととして麻衣さんを支え、自分のことを覚えているかどうかも分からないのに、すでに家族として支え続けている姿は、介護経験のある自分としては身につまされる想いで、途中で読み止まってしまうほどでした。
同時に、尚志さんほどの一本筋の通ったところがなかった私は、彼が当たり前のように諦めていない部分に我が身を恥じたりもしました。
そして、ご自身もかなり心身ともに削られていたのに、「つらいのは麻衣自身」と、何かにつけ日記に連ねていた部分を見て、私は自分を振り返って恥ずかしく思いました。
尚志さんご自身は、「日記を読み返すと、早く麻衣のいる普通の生活に戻りたいとよく書いている」と述べられていますが、ご本人は「つらいのは麻衣本人」という言葉も幾度となく繰り返されていることをご存知なのかな、と思うくらい、その言葉も繰り返されています。
そういうお人柄がにじみ出ている語り口でした。
麻衣さんもまた、基本的にポジティブで明るいお人柄のようで、根幹にあるのがそうだからこそ、奇跡を呼び起こすことができたのかも、と思わせてくれる語り口です。
そんな麻衣さんの言葉の中から、肝に銘じておきたいと思った言葉がありました。

親切と障害者扱いっていうのは全く違うというのはわかってほしい。

意識が回復してから初めて尚志さんのご実家へ赴かれたとき、尚志さんのご両親や弟さんが倒れる前と変わらない態度で接してくれたこと、車いすになったことで何かと不安を感じていた麻衣さんが安心できるような状態で迎えてくれたことなどを綴られている中での言葉です。
人の手を借りなくてはならないことに、自分に非はなくても後ろめたさや引け目を感じてしまう、その一方でそんな気持ちを強いられている理不尽も感じてしまう、というのは、手を貸す側が無意識に「障害者扱い」と「親切」や「思い遣り」を勘違いして対応しているからではないか、とハッとさせられました。

抗NMDA受容体脳炎、という病名もこの書籍で初めて知りました。
(詳細はこちら→https://www.neurology-jp.org/Journal/public_pdf/049110774.pdf
本書の記述によると、100万人に0.33人と推定されている稀有な病気です。
上記リンク先の臨床神経学のレポートによると、ほかの病気と勘違いしてしまいそうな類似症状が見られる上に、そういった稀有な発症率なので可能性としてすぐに思い浮かべられない、という部分もあるように見受けられます。
このレポートの作成が2009年、麻衣さんが発症したのは2007年、まだ実態がはっきりする前の発症だったのかもしれません。
そんな中、担当された医師がよくこの可能性に辿り着いたなあ、と、自分でざっくりと調べてみて思いました。
尚志さんが、当初は疑心暗鬼に駆られたものの、担当された先生に感謝を述べる気持ちがなんとなく分かる気がします。

綴られている言葉一つ一つ、ゆっくりと読み進めていました。
選ぶ言葉、文章の流れ、そのすべてに感謝の気持ちがこもっていて、流し読むのが申し訳ない気分になるほど真摯な言葉でまとめられた1冊となっています。
よく結婚式の主役は花嫁だとか、一生に一度の晴れ舞台だとか、お祭り騒ぎというか、幸せ見せつけイベント、という妙な偏見があって、私は結婚披露宴をしなかったのですが、実は結婚披露宴というのは「支えてくれた周囲の皆さんへの感謝と2人の新たな門出に向けての決意表明の儀式」なんですね…。
今ごろそんな当たり前のことに気付きました。
もちろん、そう言われていることは頭で認識していたのですが、実態という意味ではどうなの?なんて思っていたので…(恥ずかしい…)

当たり前だと思っていることが実は当たり前じゃない、ということを教えてくれる1冊でした。
そして、諦めないこと、ネガティブにはまり込んではならないということを教えてくれる1冊でもありました。

抗NMDA受容体脳炎、罹患者が少ないとはいえゼロではありません。
同じ病気と闘っている人やその家族や友人に、とても大きな希望の光となる1冊だと思いました。
中村さんご夫妻の赤裸々な言葉で読めたことに感謝しかありません。
綺麗な言葉でまとめず、率直に出来事や当時の想い、忘れてしまったという「何もかもうまくいくわけではない」という現実も知らせてくださり、その上で幸せなのだと読む側にも伝わってくる内容でした。