本と映画と日常と

自分が読んだ本、鑑賞した映画と日常の徒然を書き留める備忘録ブログです。感想記事にはネタバレもありますので、各自の判断と責任のもと閲覧くださいませ。

【13.07.22.】『WATCHMEN』鑑賞&読了

WATCHMEN ウォッチメン(ケース付) (ShoPro Books)

WATCHMEN ウォッチメン(ケース付) (ShoPro Books)

 
ウォッチメン (字幕版)

ウォッチメン (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

あらすじ:
 “金曜の夜、ニューヨークで一人の男が死んだ―”
 1985年、核戦争の危機が目前に迫る東西冷戦下のアメリカで、かつてのヒーローたちが次々と消されていた。
 これはヒーロー抹殺計画のはじまりなのか?
 スーパーヒーローが実在する、もうひとつのアメリカ現代史を背景に、真の正義とは、世界の平和とは、人間が存在する意味とは何かを描いた不朽の名作。
(「BOOK」データベースより)




【ここから感想です☆】

 


 進撃の巨人にて私の推しキャラ、リヴァイのモデルが、この作品に出て来るロールシャッハだと知って、迷いつつも結局もう一度観直しました。苦笑
 WATCHMENは、ロールシャッハという人物が何かと私のトラウマだったので、なかなか再鑑賞できないんですね...(遠い目

 昔のブログに感想を書いた記憶があったので見直してみました。

DATE: 10/18/2009 11:00:11
 アメリカさんの割には、スプラッタ的なR指定というより、心理的に追い詰められる類の、人間のディープな闇の部分について描写される部分はかなりのR。

 それと、リアリティのある描写を貫いているのか、CGと頭では解っているのに、目と感覚が痛くなる、変にリアルな暴力描写。
「血ぃ噴かせておけば怖いだろ?」
「頭かち割れば恐怖感upだろ?」
 みたいな安直なのではなくて、そこへ至るまでの心理的追い詰められ感が、その映像を(他の作品と大差ない映像であるにも関わらず)ものすごい痛く見せ、且つ見てるこちらに痛みを与える。怖い。
 あと、何より痛かったのは、ジョンの人間に対する絶望感や、
『世界を作ったのは神でもなければ奇跡でもない――人間だ』
 というひと言にこめられた、何とも辛辣な糾弾の思い。
 すごく、Rな内容だと思う。
 思春期の子らがうっかり見ちゃったら、ホントにもうこの夜に対して絶望と頽廃を感じて何でもどうでもいいよもう、って気分になりそうな;

 ヴィジュアル的には◎
 すごい、綺麗。
 内容的には、メンタル弱ってる時に見るのはオススメしないかも;
 作りこみがとにかくすごい、と思った。
 映像面でも人間の作りこみ、という面に於いても。
 どこかX-MENの匂いを感じると思ったら、これもアメコミが原作。


 人目に触れると思って、やんわりとしか思ったこと書いてないな…。
 ちなみに、アメコミが原作じゃなくて、映画のコミカライズです、逆の順番に誤解してました。
 前半部分はやっぱり家族で見たようで、
「次は一人で静かに集中して観よう」
 と書いていたみたいなんですけど、次が3年半後になったという(笑)

 上記の段階では映像しか見てなくて、その後コミックを買ったので、それも読みました。
 なので一応両方のリンクを張っています。

 2時間40分では語りつくせない各スーパーヒーローたちの生育暦というか、人物設定。
 コミックではそれらが補完されております。
 そこまできちんと踏まえて初めて『WATCHMEN』なのかも。

 今回はロールシャッハメインで見る、という目的があったので、それを意識してみたんですが失敗しました。笑
 やっぱりDr.マンハッタン(=ジョン)が一番好きなキャラで、つい…。

 『進撃の巨人』のリヴァイ兵長は、最強で冷徹で常に冷静で(たまにびっくりしますが。笑)、やっぱり私から見ると、ロールシャッハがモデルだとは気づけなかったので、作者の諌山さんの持つ、彼にとってのヒーロー像としてリヴァイがああいうキャラクターになったんだろうなぁ、と思いました。
 ロールシャッハは、私の目から見ると、強迫性障害に近い拘りの持ち主で、不器用で生き急ぎ、仮面を「顔」と呼び、それをまとうことで、人間である限り誰の心の奥底にも潜んでいる闇の部分を持たない別の「ヒーロー」になれる、とでも思っているのかな、みたいな...生き下手さん。
 憧れとは程遠いなぁ...

 映画では彼に関する演出が非常に巧い、と思いました。
 前回では気づかなかったこと。
 Dr.マンハッタンに
「殺れよ!」
 と叫んだとき、彼はマスクを脱ぎました、これに前は気づかなかった。
 ウォルター(本名)としての彼は、エイドリアンの計画やその意味を理解していたんだろうな、と。
 ただでも、ウォルターな自分を否定して生きて来ているし、ウォルターの中にある「ロールシャッハ」な自分がそれをどうしても感情的に赦せないから、妥協が出来ない。
 感情と理性の闘い、というんですかね?
 作為的な、ゆがんだ形で作られた平和、犠牲の元に成り立つ平和を、弱者側で見てしまう自分が納得しない。
 グロスで見ることの出来る人なら誰もが持っている「闇」の目が、エイドリアンの描き遂行してきた平和を得る方法がベストではなくともベターだと認めてしまっている。
 妥協したら、ロールシャッハではいられなくなる。
 こうありたい自分ではいられなくなる。
 かと言って自ら命を絶てば、またそれも同じ。
 知ってしまったからには、公表しなくてはならない、それが「ロールシャッハ」だから。
 それがたとえ、これまでの犠牲を無駄にし、また戦争の危機が訪れることになるとしても、嘘やごまかしは「悪」なのだから、「正義」を遂行しなくてはならない。
 故に、自分は前へ進まなくてはならない、ロールシャッハとして。
 だけど、自分を止めなくては、人類滅亡の危機が訪れる。<核戦争
 その結果としての表現があれ、だったのかな、と。
 仮面を脱いで「殺せ!」というDr.マンハッタンへの、懇願に近い叫び。
 正直、全然最強じゃないよ弱いよお子様だよ、と切なくなりました…。

 ロールシャッハの血で描かれたロールシャッハの絵がすごく象徴的でした。
 ただの無意味な染みでしかない、ロールシャッハ(本来の意味での)。
 それを「どう見えるか」なんていう意味づけや、そこから導き出されるプロファイリングなんてのも、結局は誰かの主観でしかないわけで。
【人とはどうしようもなくエゴイストで、必要悪こそが世界を救う】
 というどうしようもなく皮肉な結論で。
 Dr.マンハッタンが、「どこかもっと無垢な世界を探す」と去りたくなるわけだ、と思ってしまいました;
(結局Dr.マンハッタンに同調しっぱなしだったという;)

 1回だけ一人で視聴できたので、やっとエイドリアンにも意識が向けられました。
 やだ映画だと超イケメン...///
 Dr.マンハッタンの次に好きなキャラでした、策士の極悪人。
 悪意なき極悪人、これ私のツボなのかも知れない...///

 んー……少しはトラウマ、抜けたかなぁ……(多分

 ロールシャッハは、どうしてもヒーローに見えない。
 彼は身寄りの無い孤独な人ではあっても、でもやっぱり実際にはローリーやダンに迷惑掛けてるわけじゃないですか。
 自分の信念・価値観・こだわりのために他人巻き込んでるんじゃない、と思ってしまうんですよね…。
 彼は生き急ぎすぎです...
 泣く人もいるんだってことを忘れちゃダメだよ、と思ってしまいます。
 だって、ダンは「友達」って言っただろ? みたいな、そんな哀しいような焦れるような意味合いで、ロールシャッハを見ていると説教をしたくなってしまいます...

 と、文句に見える殴り書きですが、好きな作品で、観てよかったと思う作品です。
考えさせられる作品は、自分自身の糧になる…。