【12.03.16.】『図書館戦争』感想
あらすじ:
2019年(正化31年)。
公序良俗を乱す表現を取り締まる『メディア良化法』が成立して30年。
高校時代に出会った、図書隊員を名乗る“王子様”の姿を追い求め、行き過ぎた検閲から本を守るための組織・図書隊に入隊した、一人の女の子がいた。
名は笠原郁。
不器用ながらも、愚直に頑張るその情熱が認められ、エリート部隊・図書特殊部隊に配属されることになったが…!?
番外編も収録した本と恋の極上エンタテインメント、スタート。
(「BOOK」データベースより)
【ここから感想です】
前置きしておきます。
文字制限に引っ掛かる勢いで感想なのか萌えなのか感想延長上妄想大展開なのかわけのわからないヨタ話になる気がします。汗
グイグイもっていってくれる作品です。
不本意というか、この複雑機微な心情は、本作を読んで、堂上教官に「認められて(大事なところなので敢えて割愛)悔しい」と感じた主人公・郁ちゃんと多分ほぼ同じ心境。
虚構のそこかしこにどこか現実社会を臭わせるリアリティが堪らなく魅力的です。
読み手に思想や作者の意図を押し付けていないのに、揺さぶるものがある。
アニメ化だろうが実写化だろうが、とにかく本好きじゃない人にも、そして老若男女問わず、また国内外も問わず、人間に属している生物すべてにこの作品を読んで
「自分はどう在ろうか」
ということに思いを馳せて、大いに悩んで模索し考えながら生きていただきたい、と思わせるほどの説得力を感じました。
堂上教官が高校生だった郁にしたことは、果たして正義なのか正義ではないのか。
メディア良化法(現実社会でいうところの、元「非実在未成年」云々法案に近い架空の法律)、それに対すると「図書館の自由に関する宣言」及びそれに付随して認可された図書隊(自衛隊レベルの軍事実務レベル・ただしチョー低予算)との間にある大人の事情的形骸化こう着状態の是非とか。
あと、根本的に忘れがちなので私も猛省いたしましたが、
「なぜ本を読むのか」
という自分への疑問、とか。
登場人物たち、それも、本当に「その章だけ」の人物に至るまで、微に入り細に入り、というんでしょうか? 「生きて」いますし「活きて」います。
彼らひとりひとりが、なぜそう発言し、そう思い、そういう行動に出たのか、瞬時に納得してしまえるのです。ブレがない、人物像に。
そのくせ、三人称。どこか作者が登場人物とは別の目で見ているのだという感覚。これが読者に、十人十色の共感を抱かせてくれる余裕を感じさせてくれるのです。
だからといって、登場人物を突き放しているわけではない。
――その理由が、「登場人物に寄り添って」と作者が巻末にあった故・児玉清さんとの対談で仰っていたと知りました;
絶妙な距離感を登場人物と作者の間で取れているので、過剰に心情描写が乱れ飛ぶこともなく、かと言って感情移入出来なくなるような説明文にもなっていない。
また、登場人物の年齢の高さに意外と驚きました。
みんな20代以降なんですよね。
ラノベ&オンオンベ=主要登場人物が10後半-20代でないと即バック、と思っていましたが、この作品は若者ウケしている作品、ですよね?
あと、戦闘シーンでは「体言止」「短いワンセンテンス」などなど、私がこれまでに聞いたことのあるセオリーのようなものが丸無視で、それが却ってアクションもの苦手な私には読みやすく、
「あ、これってアリなんだ」
と目からうろこ、でした。
伏線回収のタイミングなども、すごく勉強になる作品でした。
ちょっとした伏線(読者に認識してもらっておくべき設定など)は、早めに回収、だからこそ、最も大きな伏線が最後に回収されたときの「あああああ! そーいうことで、そう変わったのね!」みたいな、この妙な至福感を味わえる、というところとか。
というか…この怒れるチビは私を貧血で殺す気ですか…っ(萌え転がった模様。笑)
こう……ッ、いちいち「悔しい!」と思わせるプロなんじゃないかと、チビのくせに。
皮肉屋ではなく図書特殊部隊とか、職業間違ってませんか、とか、チビのくせに。
物心ついたころから「イケメン条件のひとつ:180cm以上」というン10年掲げ続けて来た我が持論が、磐石だったはずのそれが、この怒れるチビのせいで崩壊しました。笑
解釈は、読んだ人それぞれだと思いますが、私はこの作品の中で、
「読み手の責任」
というものを意識せずにはいられませんでした。
メディア良化法や、それをさらに推進しようとする「子供の健全な成長を考える会」による本の検閲に反対する、中学生の子たちの思いや行動がつづられている章があります。
ちょっとネタバレになりますが、中学生の子2人が、「子供の健全な成長を考える会」のフォーラムにロケット花火を打ち込み、会場を混乱させてしまいます。
彼らにしてみれば、それは抗議でした。
けれど、結果としてはどうだろう、と。
それらに付随し、大人にも子供にも「改めるべき点」というのを自発的に気づかされる、といいましょうか。
この作品からそれを読み取れる読者さんがたくさんいてくれたらいいな、と思う章だと感じました。
発信する側も、受信する側も、そしてそれを見守る立場のそれぞれも、
「見る」
のではなく
「読み」
「自分の脳で考える」
ことなくしては、メディア良化法の餌食になって良作がどんどん潰されていく、と。
悪いものを知らなくては、善悪が身につかない。
それを教えずただ隠してしまうのは、大人の怠慢だよなあ、とか。
感情論だけを振りかざし、自由だけを要求する子供たちも、まずは個々ではなく「子供」というくくりの中で、大人に「これだから子供は」と一蹴されないために、と考えた言動を取ることが肝要だな、とか。
このあたりは、某都知事や元某府知事=現某市長の提唱していたアレに掛かってくる話だとも思ったりしました。
アニメはこれから見ようと思います。
小汚くてむさい印象。なのに内容はどこまでも明るい展望。
明るい将来にするのはアナタ次第、と指差された気分になる読後感でした。
オマケの「ジュエル・ボックス」は、恋愛スキーな方にとてもオイシイお話でありました。///
焦れ焦れ苛々あー歯がゆい! と思いながらその辺読んでいた私は、性格的には郁ちゃんキャラですが、柴崎目線でこの作品を読んでいたと思います。
大袈裟かも知れませんが
「生きることに責任を持って」
とか
「自分を保つこと」
とか、
「考えて悩んで、そして逃げないで自分の生き様や生き方と向き合いつつ、ときには揺らぎそうになるけれど、正義と堂々断定決め付けることなく、日々自分の脳を動かすこと」
とか、もう色々と人の生き方・在り方という大きな意味合いでも、収穫のある作品でした。