【13.04.24.】『流れ星が消えないうちに』感想
あらすじ:
忘れない、忘れられない。あの笑顔を。
一緒に過ごした時間の輝きを。
そして流れ星にかけた願いを――。
高校で出会った、加地君と巧君と奈緒子。
けれど突然の事故が、恋人同士だった奈緒子と加地君を、永遠に引き離した。
加地君の思い出を抱きしめて離さない奈緒子に、巧君はそっと手を差し伸べるが……。
悲しみの果てで向かい合う心と心。
せつなさあふれる、恋愛小説の新しい名作。
著者からのコメント:
大切な誰かを失っても、それで残された人の人生まで終わってしまうわけではありません。
残された人間は、どうしようもなく生きてしまう。
いつか他の人を好きになることもあるでしょう。
失ってしまったもののことを少しずつ忘れていきもするでしょう。
そうして生を長らえるのは、はたして正しいことなのか――。
自問しつつ、やはり人は生きていかねばなりません。
たとえ何かを失っても、それを認めて乗り越えたところに新しい自分がいることを、この小説を読むことでちょっとでも信じてもらえたら嬉しいです。
(このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。)
(以上まで、上記リンク先から転載)
【ここから感想です☆】
感想の前に、断り書きとして、橋本さんの作品に触れるきっかけとなった出来事を...
■現役作家の、プロを辞める理由が他人事に思えない件
■転がる石のように。(橋本紡オフィシャルblog)
twitter上で上記2点のまとめやらご本人のブログ記事へのリンクが流れておりまして。
プロ作家さんの人柄(の片鱗)に触れてから作品に触れたのは初めてです。
上記ブログ記事や、まとめを見た人の反応は、批判が多かったです。
「世の中や作風のせいにするな」
と言った感じの批判や、別作家さんとの比較、果ては中二病扱いなどなど、これ、きっと私が当事者だったら心砕けるだろうなあ、と思うような類の言葉が並んでました…。
また、私は作品を未読だった状態で上記の発言を閲覧した状態だったので、
「恋愛小説や家族小説が読まれなくなったわけではないんじゃないかな」
という異論が浮かんだくらいです。
ただ。
「時代の波から取り残された」
「家庭(特に我が子)を得たことによって、優先順位が激変するがゆえの葛藤」
みたいな、言ってみれば「同世代」としての共感が多々ありまして、作品を読む前から
「あー、この作家さんは多分、私と同世代の人で、若い人に好まれる作品が書けない人だろうな」
という先入観込みで作品を読んでしまいました。
なので、この感想は純粋に作品そのものの感想にならないかも知れません。
以上、長々とした前置き失礼致しました。m(_ _)m
感想は、ここから(汗)
私流にこの作品を紹介するとするならば。
主要人物の二人に共通する一人の男の死をきっかけに、二人が向かい合わせに死んだ男を見つめながらいびつな三角関係を続けている平凡でありふれた、地味な物語
としか言いようがないほど、派手さもなく、主要人物がキャラ立ちしているでもなく、そしてとても日常な物語で、なのにどうしようもなく重いです。
もう、ネガティブキャンペーンか、と思ってしまうような言葉しか思い浮かべられないのですが、言葉として表現するとそうなるのだけれど、読んだ時間を無駄と思うか否かと問われたら、即答で「無駄ではなかった」と答えます。
私の語彙があまりにも貧し過ぎるので巧く紹介出来ない。
奈緒子の立場は、幼馴染だった恋人、加地が、海外で自分とは別の女性とともに事故死した、それが心の中の棘となって、いつまでも知ることの出来ない真実に囚われている女性。
巧の立場は、高校時代の友人だった加地と奈緒子が結ばれるためにキューピッド役を請け負い、加地の死後は奈緒子の恋人になるも、やはりいつまでも加地の存在を忘れられない男性。
巧と加地は真逆の性格で、奈緒子と加地はよく似ている。
ものすごい微妙なバランスを描き、且つ、加地の心情は死亡者であるがゆえに一切出てこない。
なのにその存在感がものすごいのです。
二人の視点一人称で交互につづられているお話ですが、私は橋本さんと同世代だからなのか、それぞれの葛藤や迷いやこだわりや、そういった諸々には素直に感情移入できました。
同時に、
「これは、今の若い世代の人には理解に苦しむ心理だろうな」
と読後に思いました。
そこまで他者に心酔したり、固執したり、そういう濃い人間関係を築く機会を失ってしまった現代では、理解に苦しむ心理なのだろう、と。
この辺りが、「時代の波に取り残された感」をかもし出しているのではないかと思いました。
恋愛小説が、家族小説が、ビジネスとしては終わった、というのが橋本さんの弁でしたが、そうではない、と改めて思いました。
心の奥底までもぐりこむような深い作品を読み解く人が少なくなった。
共感を抱ける私たちの世代が、小説など娯楽に金銭や時間を掛ける余裕がなく、だから「売れる」ことが難しくなった。
橋本さんと同じように、自分「だけ」のためにお金や時間を費やすのではなく、家族全体を潤すためのことへそれらを費やす方に優先順位がシフトしてしまっている世代なんです。
文庫本の514円と、家人たちの好きなアイスクリームの460円を天秤に掛けて悩んでいた自分に苦笑しました。
若いころの甘酸っぱい、時にほろ苦い思いをした恋愛という感情を味わうことの出来る作品でもあります。
私個人としては、恋愛真っ只中のときに、不意に恋人を亡くしてしまう(失くすではなく)衝撃とどうしようもない情緒不安定とか、そういう感覚は、高校当時、交通事故で恋人を亡くして自室に帰れなくなってうちで半年ほど一緒に過ごしていた友人を思い出させられて苦しくなりました。
加地と巧の友情は、本当に不器用で無骨で、どこか汗臭くて。
奈緒子と仲睦まじく肩を並べる姿を見ているのが幸せだった巧は、いい男だと思います。
加地が大好きで彼しか見えていない奈緒子が好きだと明確に自覚している巧が、すごくステキに描かれています。
体育会系運動バカなんですが、そしてそういうキャラを苦手としているはずの私なのですが、唯一無二の親友と、惚れた親友の彼女のため、必死で自分と向き合い、奈緒子と、そして亡き加地と向き合う姿は、
「奈緒子ちゃん、もう加地くんのことは思い出にしようよ」
と説き伏せたい気持ちにさせられました。
非常に淡々と描かれている、言ってみれば平凡な日常を綴った作品です。
ド派手な序破急も起承転結もない、日記かと思うような地味な毎日を描いています。
静かに、そして何より、読後に初めて語り掛けられる物語、という気がします。
“あなたはちゃんと今を見つめて歩いていますか?”
読んで「あー、面白かった」という作品ではありません。
自分自身を振り返らされます、考えさせられます。
少なくても、私はそうでした。
感じ方は千差万別かも知れません。
惜しむらくは、上述「著者からのコメント」ですね。
密林さんで初めてこの存在を知ったのですが、そしてブログ記事やツイッターの呟きにもいえることですが、著者の言葉ではなく、物語の中で伝えて欲しいかな~、と。
語りたがりな作家さんなのかも知れません。
「こう感じて欲しい」
「こう汲み取って欲しい」
著者のコメントを読んでそんな臭いを感じてしまい、ちょっぴり後悔。
作品そのもので「それでいいよ」と言ってもらえた気がして、すぅっと心の軽くなる部分もあったのですが、まんまと作者の意図に引っ掛かった感が否めない。笑
するめみたいな作品でした。
読了直後は悶々と自分を振り返らされ悩まされ、だけど色々と考えたり思い悩んだ結果、
「それでも生きていれば、そして前を向いてちゃんと周りを見つめて一生懸命生きていれば、人は変われる。そして変わってもいいんだ」
と前向きな気持ちにさせてくれる。
そうやって「大人」になってゆき、それが経験値というのだな、とか、色々と、本当に色々と・・・自分と向き合うきっかけをくれる作品でした。
出会えてよかったと思う作品でした。
この1作だけで橋本紡という作家さんや、彼の書く作品を全面肯定するとか、それを他者に強要するつもりはありませんが。
ラノベ時代の作品を探したけれど、手に入りませんでした。
ラノベ時代の橋本作品も読みたいです; 違いを見たい。知りたい。
本作は、そう思わせる作品でした。
一定の結論や、誰もが似た感想を抱くテンプレートな作品ではありませんでした。
読み手に委ねる部分も多分に加え、だけど著者コメントがなあ…という感じです。苦笑
表現者は作品で語れ、自分の言葉で押し付けるな、とは、誰が言った言葉だったっけか。
それを体現している作品でした。委ねられ、嫌でも自分自身について考えさせられます。